菊地秀行(B・ストーカー原作)『吸血鬼ドラキュラ』講談社 1999年

 ヨーロッパの辺境トランシルヴァニアで,悪夢のような体験をしたジョナサン・ハーカーは,九死に一生を得てロンドンに帰り着く。しかしそこで彼は,その「悪夢」の根元と再会する。黒マントにその屈強な躰を包み,赤い眼光をもって人を操り,変幻自在に姿を変える恐るべき魔人・吸血鬼ドラキュラ・・・今,人類の命運を賭けて,男たちの戦いが始まる・・・

 本書は,「痛快 世界の冒険文学シリーズ」の1冊で,いわゆる「翻案ものジュヴナイル」です。この手のシリーズは,ホームズルパンなど,はるか昔からあり,わたしも小学生の頃,むさぼるように読んだものです。
 ただ本シリーズの特色は,翻案者に,現在エンタテインメント作家として第一線で活躍している作家さんを揃えていることです。主だったものを挙げると,阿刀田高『アーサー王物語』,逢坂剛『奇巖城』,志水辰夫『十五少年漂流記』,大沢在昌『バスカビル家の犬』,眉村卓『タイムマシン』といった具合です。
 本シリーズのことは,今ではもう終わってしまいましたが,朝日新聞の日曜版に連載されていた篠田節子のエッセイ『寄り道ビアホール』で紹介されているのを読んで知りました。彼女も紹介の中で書いてましたが,「子どもの本離れ」が指摘される昨今,興味深い試みだと思いますし,また大人にとっても,好きな作家さんが古典をどう料理しているか関心が持たれるところです。

 ・・・・などと言いながら,じつは原作の『吸血鬼ドラキュラ』は途中で挫折してしまったという情けない過去を持つわたしとしては,この菊地版『ドラキュラ』と原作とを比較するなどといった真似はできません(笑)。
 でも翻案者が「あとがき」で書いていますように,かなり菊地色を出した作品ではないかと思います。もともとこの翻案者は,破天荒な設定,少々大時代がかった文体,一癖も二癖もあるキャラクタが破天荒に暴れ回るといった作風で知られた作家さんです。ですから,世紀末ロンドンを舞台に,中世のモンスタ・ドラキュラ伯爵が傍若無人に跳梁するという作品を描くには,まさに「適材適所」といったところでしょう。
 たとえば,黒マントに身を包んだドラキュラ伯爵が,天井のガラス窓を突き抜けて,ヴァン・ヘルシング一行の前に姿を現すところなぞは,これぞ「菊地節!」といった派手で鮮烈,けれん味たっぷりシーンです(確実なことは言えませんが,ここはおそらく翻案者のオリジナル・シーンではないかと思います)。
 また登場人物の造形も,やはり他の菊地作品のキャラクタに相通ずるものが感じられます。たとえばミナ・ハーカーというヒロインを取り巻く男たち―ジョナサン・ハーカー,ジャック・セワード,キンシー・モリス―は,翻案者が好んで取り上げる「姫を守る騎士」といった風情があります。とくにイギリス,ヨーロッパ大陸を舞台にしながら,キンシー・モリスという西部劇から飛び出てきたようなアメリカ人キャラクタを縦横無尽に活躍させるところなども,やはり菊地流脚色なのではないかと想像しています。

 先に書きましたように,原作『ドラキュラ』とどの程度違うのか,はっきりしたところはわかりませんが,菊地流に解釈した,独立した作品としても,充分楽しめる作品ではないかと思います。ちなみに挿し絵は天野喜孝,これはもう「いかにも」という感じですね。
 ただ漢字全部にふりがながふってある文章というのは,ちょっと読みにくいですね(笑)。

98/04/18読了

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