藤原正彦『心は孤独な数学者』新潮文庫 2001年

 「天才とは,発見のためとあらば,途方もない量の退屈な計算を平気でやってしまう習性がある」(本書「神の声を求めて」より)
 「これほど長い年月,これほどの烈しさで想い続ける,というところにハミルトンの真骨頂がある」(本書「アイルランドの悲劇と栄光」より)
 「ラマヌジャンは天才というより,どこかの天空から降りてきたような人間だ」(本書「インドの事務員からの手紙」より)

 数学史上,天才と呼ばれるアイザック・ニュートンウィリアム・ロウアン・ハミルトンシュリニヴァーサ・ラマヌジャンの3人についてのエッセイ的評伝です。作者も,お茶の水女子大学理学部の現役の数学の先生とのこと(ちなみに父親は新田次郎,母親は藤原ていだそうです)。掲示板にて石井亮一さんからのご紹介です。

 高校卒業以来,数学とはとんと縁がなく,数学者なる人種(?)ともお近づきになる栄誉にも浴せず,ましてや「天才」と言われるような方は,ブラウン管を通す以外に見たこともない,というわたしですから(ニュートン以外の名前さえ知りませんでした^^;;),買ったのはいいものの,「はたして読み通せるだろうか?」という不安がありましたが,読み始めてみたら,そんなことは杞憂に終わりました。おもしろい!
 そのおもしろさとは,「天才」たちの人間的な側面の描写に多くのページを割いている点にあるでしょう。しかしそれは,ありがちな「暴露話」といった類のものではありません。作者が3人の天才数学者に対して,同じ数学者として深い敬愛の念を持っていることは,文章の端々に感じ取れます。その一方で,けっして情に溺れない,手放しの礼讃になっていないところが,この作者の,学者としてのバランス感覚であると思います。そしてまた,3人を,もちろん一個の卓抜した才能を持った人物として描き出しながらも,つねに彼らが育った(彼らを育てた)社会や文化,歴史,風土に対しても視線を配り,その環境の中での「天才」の姿をもフォロウしている点,興味深いものがあります。

 たとえばアイザック・ニュートンを描いた「神の声を求めて」では,「宇宙は数学の言葉で描かれている」という彼の信念を,母親との離別を引き起こした既成の教会への反感という,彼の「原体験」の中で位置づけようと試みています。またウィリアム・ロウアン・ハミルトン「アイルランドの悲劇と栄光」では,彼の出身地アイルランドの悲惨な歴史を丹念に追いかけた上で,その歴史が生み出したアイルランド人の心性を絡めながら,彼の天才的才能と人生を描き出しています。
 そして一番感動的なエピソードが,インドの片田舎に生まれ育ちながら,世界の数学界を震撼させるような定理をつぎつぎと発見したシュリニヴァーサ・ラマヌジャンの評伝「インドの事務員からの手紙」です。この作品は,本集中一番長いもので,全体の3分の2近くを占めています。この長さ−作者が出会うインドの風景の描写の長さは,想像するに,作者自身の,ある種の「困惑」の表象なのではないでしょうか。すべてが不条理なまでに混沌としたインド的世界から,なぜ厳密さと合理性の極北ともいえるヨーロッパ数学をも凌駕する知性が出現したのか? という「問い」を持った作者が,「答」を見出すまでの「長さ」とも言えないでしょうか(その「答」は,ここでは書きませんが,なかなか興味深いものです)。
 そんな作者自身の問いかけを挿入させながら,ラマヌジャンの数奇とも言える人生をたどっていきます。貧困の中で石板に毎日毎日,頭に浮かぶ数式を書き連ねる日々,イギリスの数学者との間に取り交わされる不安と歓喜の交錯した手紙,イギリスでの栄光の背後で積み重なるストレス,32歳という,あまりに若い死。それは「夭逝した天才」という,手垢のついたモチーフなのかもしれません。しかし,作者は,ラマヌジャンのインド人としての心の揺れ動きや,母親や妻に対する愛情とやさしさを丁寧に織り交ぜることで,天才であるとともに,ひとりの生き生きとした,心やさしい若者の短い生き様を描き出しているように思います。

 それにしてもこの作者,文章が巧いですね。ところどころに,冒頭に掲げたような「キー」となる一文を差しはさむことで,ぐっと引き締めています。また彼ら天才が産み出した数式や定理の内容はほとんど書かれていないにも関わらず,なぜか,それらの持つ意味の「凄さ」「偉大さ」だけはなんとなくわかったような気になってしまうところが,なんとも不思議です。

01/01/28読了

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