水上勉『飢餓海峡』新潮文庫 1990年

 昭和22年,北海道岩幌町の大半を焼失させた大火の原因は,強盗殺人犯による放火だった。犯人・犬飼多吉は,同夜に発生した青函連絡船・層雲丸の沈没という海難事故の混乱の中,姿を消した。しかし,ひとりの女の純情と刑事たちの執念が,10年の歳月を超えて,ふたたび彼の姿を浮かび上がらせる・・・

 社会派推理小説として著名な作品ですが(ただし作者の「あとがき」によれば「推理仕立ての社会小説」だそうです),これまで読む機会がありませんでした。「出張中には長い作品を読もう」と思って書店で物色していたところ,本書が目に入り,手に取った次第です。

 現実でも,フィクションとしてのミステリでも,犯罪の動機にはさまざまなものがあります。愛憎・欲望・保身といった,普遍的とさえ呼んでいいようなものもあれば,形而上的あるいは理念的な動機もあります。殺人という行為が自己目的化した「サイコ・キラー」など,「動機なき犯罪」さえもあります。しかし,その動機には,一般的であれ特殊的であれ,「時代」という刻印が深く押されているのかもしれません(「サイコ・キラー」ものが流行する現代という「時代」にはなにやら肌寒いものを感じますが・・・)。
 本作品で描かれる「犬飼多吉」の犯罪の動機は,「貧困」であり,タイトルにあるように「飢餓」です。無謀な戦争と,その敗戦による社会的混乱―崩壊といっていいかもしれません―がもたらした貧困であり,飢餓です。物語の前半部に描かれる刑務所出所者のあつかいをめぐるエピソード―犯行時の地の付着した衣服を着せて出所させる―は,その社会的混乱を象徴する意味で印象的です。
 しかしそういった「貧困」や「飢餓」は犬飼多吉ひとりが背負っているものではありません。彼によって殺される杉戸八重もまた同様です。ふたりはともに貧しい村に生まれ育ち,その貧困から抜け出すために故郷を出ます。けれど彼らにとって,「故郷を出る」ことは,けして「故郷を捨てる」ことではありません。彼らは,都会で稼いだ金を,故郷に残っている父親や母親に送り,養います(それは駐留米軍相手の売春婦となった八重子の友人時子もまた同じです)。
 そういった意味で,犬飼多吉と杉戸八重とは,立志伝中の人物としがない娼婦という立場こそ正反対ながら,じつによく似ているように思います。そんなふたりの人生が加害者と被害者して,「犯罪」という場で交錯してしまうところに,この物語の悲劇性があるのでしょう。

 ほんの50年前,この国が混乱の極みにあったということ,しかしそんな中でも人々が生きていたことが,よくわかる作品です。

99/10/18読了

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