宮部みゆき『初ものがたり』PHP文庫 1997年

 本所深川一帯をあずかる「回向院の旦那」こと茂七親分と,その手下糸吉権三が出会う事件と,その背後に見える人間模様を描いた,6編よりなる連作短編集です。
 茂七親分は『本所深川ふしぎ草紙』にも出てくる,この作者の「手持ちのキャラクター」とでもいえるもので,『本所』では脇役といった感じでしたが,ここでは主役をはっています。作者お得意の「人情話」といってしまえばそれまでですが,この連作集では,個々の短編とともにもうひとつ,シリーズを通じての「謎」が出てきます。
 深川富岡橋に夜半まで店を開けている稲荷寿司の屋台の主人,物腰柔らかく穏やかで,つくる料理は料亭顔負けの味。あたりを取り仕切るやくざ梶屋の勝蔵もなぜか所場代も取らず,手を出さない。その物腰からもと武士のようですが,みょうに町方にも明るく,事件に悩む茂七親分にさりげなく解決のヒントを与えたりする。この主人の正体はいったいなんなのか,が,ひとつの魅力的な謎になっています。なにか,推理小説でよく出てくるような,主人公にヒントを与える「喫茶店のマスター」か「バーテンダー」といった趣です。
 そういえば,この連作集,舞台は江戸時代ですが,出てくる素材はどこか現代ものを思い起こさせます。たとえば「お勢殺し」はエリート社員と年上の女性との情事,男は遊びでも,女にとっては…みたいな話ですし,「白魚の目」はサイコ・キラーもの,「凍る月」は社長の娘と結婚した平社員ともと恋人との軋轢,本書の後半に出てくる「霊感坊主」こと日道少年とその両親は,超能力少年とそのマネージメントに血道を上げるステージママ,といったところです。

 本書には,木田安彦のイラストが随所にはさまれており,その一種素朴な絵が,効果的に江戸の雰囲気を醸し出しています。ただ前半は板に書かれたイラストで,木目と絵が混じり合って味わいがあるのですが,後半は普通の紙(和紙?)に書かれているので,少し残念です。

97/03/13読了

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