皆川博子『花の旅 夜の旅』扶桑社文庫 2001年

 「鬼に変貌してしまった人間がいるとしたら,そのものは,他人をおびえさせるけれど,そのものの心の奥底には,深い哀しみが沼のようにたたえられているだろう」(本書「花の旅 夜の旅」より)

 絶版して久しいミステリ作品を復刊する「昭和ミステリ秘宝」の中の1冊。表題作と「聖女の島」の2編を収録しています。

「花の旅 夜の旅」
 売れない作家・鏡直弘に依頼されたのは,旅行誌のシリーズ記事「花の旅」に,毎回,短編小説を付することだった。ところが,3回目の取材旅行中,カメラマンの妻が墜死するという事件が発生し……
 この作者の作品,とくに短編作品の持ち味のひとつは,夢と現,死者と生者,虚構と現実といった境界が,相互に浸食しあい,溶け合い,不可思議で玄妙な世界を産み出す点にあるかと思います。この作者の比較的初期に属する本作品においても,その特質は十二分に発揮されています。
 物語は,作家鏡直弘が書いた連作短編「花の旅」と,彼の「手記」が交互に配されながら進行していきます。「現実」をモデルにしたような「虚構」が展開される一方,「現実」においても墜死事件が発生し,さらに作者である鏡が,謎の死を遂げます。そしてもうひとりの作者針ヶ尾奈美子によって「花の旅」は引き継がれ,また鏡が発表することのなかった「花の旅 第三話」が挿入されるといった具合に,畳みかけるように「現実」と「虚構」とが交錯,混交し,まさに「皆川マジック」とでも呼べそうな幻惑感,眩暈感を醸し出しているところは,この作者の独壇場といえましょう(鏡直弘が,自分の名前をアナグラムで「皆川博子」という筆名を使っているという設定も稚気があって楽しいですね)。
 しかし「ミステリ秘宝」というシリーズ名が示しているように,本編は,そんな幻惑感に横溢していながら,ミステリとして「理」もしっかりと押さえています。押さえていますが,その提示の仕方において,この作品の基本フォーマット−「現実」と「虚構」との混交−を巧みに用いている点は,じつに見事で,鮮やかです。思わず「ほおっ」と溜め息が漏れました。
 付言するならば,作中作である「花の旅」の1編1編も,独立した短編として楽しめることも,この作品の魅力となっています。とくに,少女の過去と現在とを交互に描きながら,ラストでぞくりとさせる「第一話 平戸」,阿弥陀像に供えられた菊花のイメージが鮮烈な幻想譚「第四話 京都」がお気に入りです。

「聖女の島」
 かつての炭坑島に作られた不良少女たちのための厚生施設。そこを訪れた衝動所の“わたし”が見たものは,無惨に焼け落ちた“ホーム”の残骸だった。園長の矢野藍子から施設再建に助力を頼まれるが……
 この作者にとって「狂気」も重要なモチーフです。傍目からはまったくわからない静かな狂気,突然燃え上がる爆発的な狂気,本人の自覚のないままに進行する業病のような狂気,個人の枠にとどまらない集団の,時代の狂気……人間の心の襞に分け入り,抉り出すように,それらの狂気を描き出す手腕には定評があります。
 本編もまたオープニングから,そんな「狂的」な雰囲気に満ちあふれています。「島」に降り立った“わたし”を迎える矢野藍子が繰り出す言葉,言葉,言葉…意思が疎通しないわけではない,しかし話の内容が脈絡なくあちこちに飛び,独り言なのか他者に対する言葉なのか,どこか不分明な喋り口などなど,この「ツカミ」ともいえる雰囲気作りはじつに巧いですね。
 また園長は,島を抜け出そうとした少女3人が事故で死んだと言うけれど,少女たちは当初からの31人,きちんと揃っているという矛盾。さらに“わたし”の,どこか修道女らしからぬ振る舞い。そんな狂気と矛盾,齟齬に,淫靡さが加わった物語は,ちょうど大小揃わない,歪んだ形の積み木を積み上げていくような不安定感,危うさを感じさせます。
 そしてカタストロフ。結末は多少予想のつくところがあるとはいえ,そこに至るまでの,主人公の「はるかな過去」と「近い過去」,そして「現在」とを交錯させ,綯い交ぜにしながら進行させていく展開は,緊張感と圧迫感に満ち,卓抜したストーリィ・テリングと言えましょう。グロテスクで無惨とはいえ,主人公の狂気が終焉を迎えるラストは,「ようやく終わってくれたか」というホッとした気分さえ感じられます。

 本書に収められた2編を続けて読んで改めて思ったのですが,この作者の文章の巧さは,素晴らしいですね。華麗で鮮烈な表現,ときに辛辣なまでな描写,ときおり挿入される警句めいた文章などが,狂気と愛憎に彩られた濃密な作品世界を構築しています。いまさらわたしが言うまでもないことですが,この作家さんの力量は計り知れないものがあります。

02/02/17読了

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