宮城谷昌光『玉人』新潮文庫 1999年

 古代中国を舞台にした作品を得意とするらしい,この作家さんの名前は,書店やウェッブ上でしばしば見かけており,一度読んでみたいと思っていました。ただ,とにかく長い作品が多いため,手を出すのを躊躇していたのですが,今回,短編集が出たということで,さっそく購入しました。
 春秋戦国時代,漢代,唐代を舞台にした作品6編を収録しています。「歴史物」と言ってもいいのでしょうが,それ以上に幻想的で艶やか,ミステリアスな趣向にあふれており,「奇談」「伝奇」と評しても,あながち間違いではないでしょう。

「雨」
 魯の国を追われた叔孫豹は,宿を借りた田舎家で,ひとりの女と一夜を共にする…
 不思議な手触りの作品です。叔孫豹が夢に見たという若者は何者だったのか? そして彼の前に現れた“牛”との関係は? そんな曖昧模糊とした展開の末のラストの一文は,余韻あふれる秀逸なものです。
「指」
 君主の妻の愛人として勢力をふる子朝から,娘を嫁に押しつけられた疾は,泣く泣く前妻と別れ…
 全編エロチシズムに満ちた作品です。読みながら「エロス」「タナトス」という言葉が頭をめぐりました。戦国の世,権力者に逆らうことは死(タナトス)を意味する時代において,その対極にあるエロスをもって「聖人」と呼ばれた男の奇妙な生涯を描いています。同性として,ちょっと都合良すぎるように思えますが(笑)。
「風と白猿」
 嵐の夜,将軍の美しい妻が密室状況下で姿を消した。その謎解きを依頼された原々斎は…
 中国古代版ホームズ譚といったところでしょうか。名乗らぬ依頼人の正体を推理する原々斎の姿は,まさにホームズのパロディと言えましょう。このキャラクタ,シリーズものにしたらおもしろいかもしれません。
「桃中図」
 父親が買った隣家の庭に生えた桃の木,その下に来ると,李秀は虚弱な自分の体質が変わっていくように思え…
 主人公と従僕苦平との心温まる心の交流を織り交ぜた,少年の成長物語。さらに桃の木のうろから発見された地図の謎が,ラストで巧く生かされており,心地よい着地になっています。本作品集では一番楽しめました。
「歳月」
 賊に襲われ父親と夫を殺され,天涯孤独の身となった小娥。彼女の夢枕に父と夫の霊が立ち…
 数奇な運命に弄ばれた,ひとりの女性の姿を描く伝奇小説です。「女傑」と言ってしまうには,主人公小娥の姿は初々しく,さわやかです。シンと澄み切ったような余韻あふれるエンディングもいいですね。
「玉人」
 李章武が目にした白玉の見事な燭台。そこには不思議な女性の姿が浮かび上がり…
 中国の人というのは「玉」というものに,特別な思い入れがあるようで,「中国物産展」などでは玉製の置物やら香炉やらが並んでいるのを,しばしば目にします。その感覚にはいまひとつピンと来ないところもありますが,そんな美意識から生まれた奇談なのでしょう。作中,主人公が感じる「玉の永遠性」と,男女の交わりの儚さが,鮮やかなコントラストをなしているように思えます。

98/06/16読了

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