宮部みゆき『クロスファイア』上下巻 カッパノベルズ 1998年

 偶然,深夜の廃工場で,凶悪な少年たちによる殺人現場に遭遇した青木淳子。みずから持つパイロキネシス―念力放火能力で犯人を焼殺した彼女は,瀕死の被害者に頼まれ,囚われの女性の救出へ向かう。一方,警視庁放火捜査班の刑事・石塚ちか子は,奇妙な焼殺死体から,2年前の事件との類似性に気づく・・・

 人はそれぞれ,さまざまな「力」を持っています。しかし多くの人々がみずからの「力不足」を嘆いているように思います。しかし,一方,「力の過剰」に悩む人々もいます。自分で望んでもいないにも関わらず,宿命的に背負ってしまった「過剰の力」の持って行き場に悩んでいます。
 「力不足」と「力の過剰」――両者はまったく逆のベクトルのように思えますが,「力」とそれを発揮する「場」との不整合,齟齬と考えれば,非常によく似たものなのかもしれません。ですから「超能力」というSF的設定にも関わらず,その不整合や齟齬に対する苛立ちや不満,哀しみといった感情は,「普通」の人にとっても共感を感じられるものなのでしょう。
 本編の先行作品である短編集『鳩笛草』は,そんな「力の過剰(超能力)」に悩む女性たち―超能力以外はいたって平凡な女性たち―の姿が描かれています。本書は,その中の念力放火能力を持ち,みずからを「装填された銃」と呼ぶ青木淳子を主人公とした「燔祭」の続編です。
 『屍鬼』が小野不由美版『呪われた町』であるならば,こちらは宮部版『ファイアスターター』といったところでしょうか?

 ラストまでぐいぐいと一気に読み進めることのできる,ハードで,アップテンポな展開の作品であるとともに,哀しい物語でもあります。ストーリィは,青木淳子と,彼女の起こした不思議な焼殺事件を追うふたりの刑事―石塚ちか子と牧原―の姿を追う形で進行していきます。
 「超能力」を持ってしまった主人公の哀しみ,苛立ち,そして悲壮な姿を描く一方で,そういった力を持たない,普通の「中年のおばさん」である石津刑事,かつて念力放火能力により目前で弟を焼殺されてしまったという過去を持つ牧原刑事を描き出すことによって,両者のバランスを巧くとっているように思います。もし主人公の姿を描く前者だけであれは,たしかに独特の爽快感―それは「悪いヤツは問答無用でやっつけてしまえ!」という危険な要素を含むものではありますが―を持つものではありますが,あまりに痛々しい,救いのない物語になってしまっていたでしょう。つまり石津刑事というキャラクタを設定し,その姿を一方の極として描くことで,サスペンスを盛り上げるとともに,「視点」にバランス感覚を与えているように思います。石塚刑事の,経験に即した,平凡ながら説得力のある発言や思考は,「正義」という観念的な世界へと傾斜していく青木淳子とは対照的で,どこか「ほっ」とさせるところがあります。そこらへんはこの作者らしい,物語づくりの巧みさなのでしょう。

 ところで,「パイロキネシス」の訳語は,「念力放火能力」より,「念力発火能力」の方が,適切だと思うのですが・・・。「放火」という日本語には,ちょっとマイナス・イメージが強すぎるのではないでしょうか?

98/11/24読了

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