楡周平『Cの福音』宝島社文庫 1998年

 朝倉恭介は,アメリカのイタリア系マフィアと結託して,巨大なコカイン売買のネットワークを日本に構築した。それはまたパソコン通信を最大限利用した,安全かつ巧妙な販売網であった。なにものにも頼らず,みずからの才覚と力量でもって“悪”の世界へと乗り出した恭介を待ち受けていたものは・・・。

 う〜む,けっしてつまらない作品ではないと思います。ただ個人的には馴染めなかったところも多かったです。
 ペシミスティックな世界観,力強くまた冷酷な意志と強靱な肉体,おのれの力のみを信じ,ダークサイドをしぶとく生き抜く一匹狼の主人公・朝倉恭介。彼の姿は,解説で郷原宏が書いていますように,大藪春彦『野獣死すべし』の主人公・伊達邦彦を彷彿させ,「ダーティ・ヒーロー」として魅力的なキャラクタといえましょう。
 また彼が構築したコカイン・ネットワークについても,おそらくかなり念入りな取材を(あるいは自分自身の経験を)もとに,ことこまかに描き出され,「もしかしたら可能かもしれんな」と思わせるようなリアリティがあります。
 ただその「リアリティ」がくせ者で,たしかにコカインの密輸方法や,パソコン通信を使った販売方法の綿密な描写は感心するものではありますが(もっとも登場人物がしきりにいうほど「完璧」「安全」とはちと思えなかったのですが),その描写が,どこか「解説書」「マニュアル本」を読むような味気なさを感じてしまうのです。「わたしはこれだけ調べたんですよ」といった雰囲気が色濃く出ており,どうも物語としてのリズムがいまひとつといった感じがしてしまいます。
 文体も「解説調」のところが目につきます。たとえば,中国系マフィアと日本のヤクザとの違いを描くところで,中国系マフィアがきわめて戦闘的であるのに対し,日本のヤクザは,
「社会のはぐれ者と称される暴力団の構成員にしたところで,所詮日本人である。意識するとせざるにかかわらず,日本人の根底にある画一化された価値観や,やくざ社会特有のしきたりといったものが,彼らの行動上の潜在的な抑止力となって働いているはずである。」
とかいった文章。ノンフィクションや評論で出てくるならともかく,そういった質的な違いを,エピソードやキャラクタで描き出すのが,「物語」なのではないでしょうか? キャラクタが「冷酷」であることは,「冷酷な性格」とストレートに書くのではなく,「冷酷な行為」「冷酷そうな表情」の描写を通じて描き出されるのが「小説」なのではないでしょうか?
 もちろん,そういった一種の「味気なさ」が,このようなダークサイドの人を人と思わぬ,人をモノのごとく扱う冷酷さ,残忍さを描き出すのに,逆に効果を持つ場合もないわけではないでしょうが,この作品の場合,それが十分に生かされているのか? というとちょっと疑問に感じました。

98/08/01読了

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