牧野修『アロマパラノイド 偏執の芳香』角川ホラー文庫 2001年

 「由紀子さんもすでに物語の中にいるんだ。問題は誰の物語かってことだよね」(本書より)

 3人の“コンタクティー”を取材して以来,フリーライターの八辻由紀子の周囲では不可解な事件が続発するようになり,ついには謎の男に襲われそうになる。そして,彼女が“ジャム”と名乗る少年から借りた1冊の本−17年前にパリで連続猟奇殺人を犯した日本人の手記『レビアタンの顎』。その著者・笈野宿禰と周囲の怪事とはどのような関係があるのか? そして狂気の嵐に翻弄される由紀子の運命は?

 以前,『別冊 宝島』(宝島社)で,「隣のサイコさん」という特集があり,いろいろなタイプの「いっちゃってる人」をルポルタージュしていました。このタイトルの「隣」というのは,ふたつの意味があるのではないかと,そのとき読んでいて思ったものです。
 ひとつは,「彼ら」の思考・行動様式がけっして「わたしたち」のそれからかけ離れたものではない,あるいは少なくとも「地続き」であるという意味です。そしてもうひとつは,具体的・物理的な意味での「隣」,つまり隣人・隣室・隣家,そしてよく知っているはずの友人にも,そういった「いっちゃっている人」がいるということです。

 本編が主として,とくに前半において描き出そうとしているのは,このふたつの意味での「隣」にいる「サイコさん」に襲われる恐怖なのではないかと思います。
 主人公八辻由紀子は,雑誌の取材のため,3人の“コンタクティー”(宇宙人と接触し,今も継続して接触していると主張する人々)と合いますが,以後,彼女は,さまざまな「超常体験」をします。それは死んだ母親からの電話であったり,アブダクションを彷彿させる「悪夢」であったりします。彼女は,自分の精神が病んでいるのではないかと疑います。あるいはまた,マンションの隣に住む住人や公園で見かけた若い母親の中に「いっちゃっている人」を見出し,「警告」と称した支離滅裂な内容の手紙を受け取り,おののきます。さらには,長いことつき合い,信頼していたはずの友人が,原因不明の“自殺”を遂げ,友人が「あちら側」の住人であったことを知り,ショックを受けます。
 いわば,見慣れた平凡な「日常風景」が,内的にも外的に,その姿を変え始め,「異界」として立ち現れてくる恐怖です。そして,その「異界」ははるか遠くからやってくるものではなく,「日常」のすぐ「隣」,薄い皮膜を接して存在することを知ってしまう恐怖です。作者は,主人公が「体験」する超常現象を,緻密にねっとりと描き出しています。
 そして「狂気」と「正気」,「日常」と「異界」,「虚構」と「現実」とが錯綜し,混淆する「世界」は,その「世界」そのものの成り立ちを根底から覆すことで,クライマクスへと突入していきます。このような,さまざまな「超常」や「怪異」を,小細工によって「現実」の地平に着地させるのではなく,むしろ「現実」そのものの存立基盤を組み替えることで,それらの「超常」「怪異」が顕現しうる,文字通りの「異界」を構築する手法は,この作者のもっとも得意とするものなのでしょう。それは,ホラーというより,むしろSF的な発想に基づくように思えてなりません。この作家さんの作品をいくつか読んで,そんな風に思います。(読んでいて,川又千秋の『幻詩狩り』を連想しました)

 それにしても,タイトルに「芳香」という言葉を取り入れ,またメイン・キャラクタのひとりに「天才的調香師」を設定しているのですから,もう少し,「匂い」「香り」をストーリィに絡ませて欲しかったですね。

01/04/13読了

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