皆川博子『愛と髑髏と』集英社文庫 1991年

 掌編短編8編をおさめた作品集です。
 彼女の描く短編というのは,どうしてこうも,狂おしく,グロテスクで,毒気に満ちているのでしょう。平凡な日常風景の奥に潜む狂気,心の襞の隅に宿る悪意,いやときとして,本人でさえ明確に把握しえない一瞬の“魔”。卵の殻のようにのっぺりとした“世界”の裏側で息づく“けもの”たち。そして“世界”の殻は,卵と同じようにきっと薄く,脆いものなのでしょう・・・。

「風」
 庭は,寝がえりをうって,背を向けた…
 この奇妙な一文で始まる物語は,5ページに満たない掌編ですが,不安定で空虚な感じのする語り手の少女を通じて,ある家と庭が抱え込んだ秘密が幻想的に描き出されています。
「悦楽園」
 目覚めたとき,“私”は檻の中にいた…
 檻での目覚め,獣のごとき扱い,歪み崩れていく“私”の心…。さながら不条理劇を思わせるオープニングです。最後の真相が明かされるとき,絶望的なまでの“日常”とその崩壊が浮かび上がってきます。
「猫の夜」
 “私”の仕事は時計犬に餌をやること。それは秩序を守る大切な仕事…
 倉橋由美子の初期短編を思い起こさせる,不条理で,グロテスクな,寓話じみた作品です。
「人それぞれに噴火獣」
 父の友人“吉岡”が描いた“噴火獣”。蕗子の背中にも噴火獣がやはりいた…
 子どもの“狂気”を描いた作品が,大人の“狂気”を描いた作品よりも,はるかに痛々しく,また恐ろしいのは,「子どもなのに…」といった理由からだけではなく,自分の中に,いまだ“狂った子ども”が生き続けている可能性を暗示させるからかもしれません。
「舟唄」
 結婚を目前にして,“愛人”を殺した女。なぜ彼女は殺したのか…
 「殺意」とはいったいなんでしょうか? 相手を目の前から永久に消し去りたいという欲求でしょうか? ならば主人公の彼女が抱いたのは“殺意”と呼べるものなのでしょうか? なにもかもがあいまいで,つかみどころがないにも関わらず,なぜか主人公の“想い”だけはずっしりと感じ取れます。
「丘の上の宴」
 桜咲き乱れる中,“わたし”は今村家の宴に招かれ…
 この作者は,ポーカーフェイスのとびきり上手いギャンブラァなのかもしれません。知らん顔して,読者とのゲームを楽しみつつ,相手の一瞬の油断をついて,最後にくるりと逆転勝利をしてみせる。負けた方も,あまりの手の鮮やかさに,しばし呆然としてしまう。むしろ負けた快感さえも感じさせてしまう,そんなギャンブラァなのかもしれません。
「復讐」
 年下の恋人が見合いをした。彼女の心の奥深いところで,なにかが蠢動をはじめる…
 ちょっとラストが唐突な感じがしないでもありませんが,読み終わって「復讐」というタイトルをもう一度眺めやると,ほとんど登場しない,描かれることのない人物たちの底知れぬ“悪意”が,滲み出てくるようです。
「暁神」
 ひとり道を歩く弓子を拾ったのは,犬狩りの男だった…
 いったいどちらの弓子が夢を見ているのでしょう。弓子の歩みは夢の外へ向かっているのか,夢の奥の奥へと進んでいるのか。ウロボロスの蛇のごとき悪夢を描いた作品です。ここでは“悪夢”と“現実”は同義語なのかもしれません。

98/02/25読了

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