帚木蓬生『アフリカの蹄』講談社文庫 1997年

 舞台はアフリカ南端の某国。心臓移植を学ぶために留学した作田信は,人種差別に苦しむ黒人たちの治療に関わる中で,この国そのものの病理を身を持って知るようになる。そんなとき,黒人スラムのこどもたちの間で奇妙な伝染病が発生。検査の結果,10年以上も前,WHOが絶滅宣言をだしたはずの天然痘であることが判明。いまになってなぜ? 背後には白人極右グループの陰謀が・・・。

 作中で明言していませんが,モデルとなっているのは,明らかに南アフリカ共和国です。それもマンデラ政権が成立する以前,黒人差別が公然とおこなわれていた,アパルトヘイト時代の南アです。以前テレビで,南アで黒人・白人平等の総選挙が行われる直前の様子をレポートしたニュースを見たことがありますが,あるアパルトヘイト支持の白人男性が,インタビューに答えて「われわれは,文明を守る義務がある」という発言をしていたのが,心に残っています。彼にとって「文明」とは,おそらく自分たち白人の生活であり,制度であり,社会なのでしょう。それはそれでたしかに「文明」なのかもしれませんが,そこには,その「文明」が「文明外」の人々に対する搾取や差別の上に成り立っている,という考えは,いっさい見られず,なにやらうすら寒いものを感じたことを憶えています。もっとも日本もまた,その「文明」を経済的に支えるために一役買っているわけですが。

 さてこの作品は,いちおう「冒険小説」ということになっています。たしかに極右グループの陰謀,政府が隠し持つ天然痘ワクチンの奪取計画,陰謀を打ち砕くため(天然痘患者を救うため)の主人公の脱出行などなど,「冒険小説」的な設定はなされていますが,それはあくまで「従」でしかないように思えます。この作者特有の淡々とした筆致で,さまざまな事件が描かれています。だから血沸き肉踊る「冒険」を期待すると,あてがはずれるんではないでしょうか。むしろ作者は,黒人スラムで弧軍奮闘する医師・サミュエル,ソーシャル・ワーカーで,主人公の恋人・パメラ,その兄で黒人解放の闘士・ニールらの姿を通じて,差別の実態と,その差別と闘う人々を描こうとしたのではないかと思います。それともうひとつ,白人の側についても,作者は眼配りしているように思います。少数の白人が多数の黒人を支配する,そういった社会環境の中で育ち,「白人はこの国の脳,黒人は筋肉,脳が筋肉を支配するのは当たり前」という考え方を,血肉化してしまっている人々の姿は,差別が,たんに社会制度だけの問題にとどまらないことを示しているように思えます(もっとも社会制度がそういう考えをつくりだした,ともいえるのですが)。

97/08/23読了

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