山田章博『夢の博物誌b』日本エディターズ 2001年

 「あった事か無かった事か,それも判らない」(本書「夏人記」より)

 掲示板で話題になったこの作家さん,作品をまとめて読むのは今回がはじめてです。「b」というからには,当然「a」もあるのですが,残念ながら,そちらは未読です。

 この作者の長編は読んだことがないのですが,この短編集に限って言えば,この作家さんの魅力は,なんといっても「絵」ですね。
 たとえば冒頭に収録されたフル・カラーの掌編「月人」「死んでしまった月」という発想が幻想的でいいですが,それ以上に,最後のページで描かれた「月の幽霊」。ジャポニスム(日本趣味)の影響を受けた19世紀末のポスターを彷彿させるレトロさがじつに味わいがありますね。
 また2色カラーの「夜雀」には,浮世絵などの風景や図柄を挿入し,また登場人物たちの「語り口」を江戸調にすることで,不可思議な世界を浮かび上がらせています。

 しかし,この作者の「絵」の本領は,モノクロームにこそ発揮されていると言えましょう。
 「夏人記」は,一種の「演劇綺譚」と呼べる作品ですが,その魅力はストーリィそのものよりも,ワン・シーンごとの鮮烈さにあります。たとえば,道に迷った主人公の眼前に,滝を背負って登場する鳴滝の美女。たとえば,宿の女が語る「鳴滝伝説」の切り絵調の絵柄。そしてわたしが一番好きなのがラスト・シーン,輪郭を明確に描かないことで,炎天の逃げ水のように揺らめく劇場……それは,この物語の持つ幻想性−主人公が経験したことは現なのか夢なのか? いや「語り」そのものの真実性は?−を象徴するような「絵」です。
 そして「絵」そのものを前面に押し出し,「マンガ」というより「絵物語」といった方が適切なのが,「花尾」です。喫茶店で見かけた美少女との不可思議な再会を描いた本作品では,主人公の「セリフ」は,ほとんどが「絵」の外から押し出されています。まるで「セリフ」が,「絵」の純粋性を汚す邪魔者であるかのように,「絵」の外側に配されています。そして1ページ大,ときに見開きで,艶やかでしっとりとした「光景」が描かれていきます(ちなみに本作品集は,1ページA4版という,マンガ作品としては珍しい大判になっています。この作者の場合,この版の選択は正解ですね)。
 とくにわたしにとって印象深かったのが,主人公が出会った少女=花尾のバスト・アップを横から描いた見開きシーン。漆黒の髪の毛で隠された瞳,しかし睫毛だけが,その髪の端から見えています。そして輪郭線ではなく,斜線で表現されたほのかに笑みを浮かべた唇と顎のライン。ぼんやりとしていながら,斜線のシャープさと,鼻筋のみに描かれた輪郭線が,全体を「キリ」と引き締めています。

 そう,この作家さんの「絵」の持つユニークさは,その輪郭線の「不完全さ」「不安定さ」にあるのかもしれません。描かれる輪郭線はきわめて細く,ときにそれは「形」周囲を完全に巡りつくすことなく,どこかで途切れている,さらには輪郭線さえも描かれず,「形」が影と光によってのみ表現され,背景と「形」が相互に浸潤しあう……それは「夢」と「現」との交錯という,本短編集のメイン・モチーフと響き合うものといえましょう。

 さて「a」の方も探しましょうか……

02/01/01

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