山下和美『天才柳沢教授の生活』15巻 講談社 2000年

 モンゴルからの留学生ホランをたずねてウランバートルを訪れた柳沢教授は,彼女と,彼女を追ってモンゴルに来た矢沢らとともに,大草原へと旅立つ。自由主義経済化が急速に進むモンゴルで教授が見たものは・・・

 作家さんには,自分自身の強烈な体験を,作品のキャラクタにも「経験」させたいという欲求があるのかもしれません。あるいは,自分の経験をフィルタを通してフィクションにすることが「創作」と呼ばれる行為の重要な起爆剤のひとつなのかもしれません。本巻のエピソード―モンゴルの大地に立つ柳沢教授―は,作者のモンゴル旅行の経験にもとづくもののようです。
 ただこのエピソードが柳沢教授シリーズとして成功しているかどうかというと,ちょっと首を傾げてしまいます。というのも,教授は終始傍観者的なスタンスに立ち,あまり教授のキャラクタが生きていない,という印象が強いからです(念のため補足しておきますと,教授が傍観者的な立場に立つエピソードは,これまでももちろんあります。ただしそれは短編であり,今回のように長編でそのような立場に終始しているのは,ちょっと読んでいて辛いものがあります)。
 しかしつまらないというわけではありません。むしろ,教授の周りに出てくるさまざまなキャラクタがこのエピソードを魅力的なものにしていると言えましょう。

 日本に留学しモンゴルに帰ったホランは,旧ソ連の衛星国家から脱皮し,急激に自由主義化する祖国を発展させようと奮闘します。一方,彼女を追ってきた元恋人(?)矢部は,むしろモンゴルの伝統的な遊牧生活に,行き詰まった「近代」の代替案を探そうとします。モンゴルから日本を見るホランと,日本からモンゴルをみる矢部との視線のすれ違いを,ふたりの恋の行く末を絡ませながらユーモラスに描き出されていきます。
 さらにこのエピソードには,ふたりのモンゴル人が登場します。ひとりは,ウランバートルで父親とはぐれてしまい,故郷に帰れずマンホール・チルドレンとして生活する少年タユナ。彼は,彼の故郷へ向かう教授たちを追いかけます。しかし父親がウランバートルで死んだことを知ると,ショックで心を閉ざしてしまいます。そんな彼の心を開かせたのが矢部であるところは興味深いですね。タユナは,いわば激変するモンゴルの「負」の部分を背負っています。同じモンゴル人であるホランは,本エピソードの冒頭,教授と偶然出会ったタユナを「見せたくない」と排除します。矢沢によるタユナの回復は,先述した矢部とホランとの視線のすれ違いを象徴的に表しているように思います。
 もうひとりは荒くれ者アラホアです。顔は教授とそっくりで,一見,口が悪く性格は正反対のようですが,その実「自足」している点では,教授と共通するのかもしれません。そんな,遊牧生活を愛する彼は,遊牧生活を棄てたホランに手厳しく言います。
「お前がやろうとしていることは,この国をこいつらの国(日本)みたくすることじゃないのか?」

 「近代」にどっぷりひたった日本人である矢部は,モンゴルの遊牧生活の中に別の可能性を見出そうとします。それに対してホランは「近代」をめざし,遊牧生活から飛び出そうとします。タユナ,アラホアとの出会いを通じて,ふたりの相反するベクトルが「第三の道」へと向かおうとすることが暗示され,このエピソードは幕を閉じます。ラストで,教授は願いがかなうというオボーの周囲を回りながら思います。
「これから彼らが幸福になるかどうかは,もう私の力の及ばぬところだ。ならば,心から祈らせてもらおう・・・彼らの幸福を」
 やはりこういうシチュエーションでは,教授にできることは祈ることだけなのでしょう。傍観者でいるのも仕方ないのかもしれませんね。

00/04/03

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