山岸凉子『わたしの人形は良い人形』文春文庫 1997年

 「千引きの石」「汐の声」「ネジの叫び」「わたしの人形は良い人形」の4編よりなるホラー短編集ですが,前2編はすでに朝日ソノラマ版で読んでいました。
 しかし,親のエゴで犠牲になった子どもたちの姿を,突き放すような冷たさで描く「汐の声」は,わたしにとって,山岸作品の中で一番恐怖を感じる作品で,今回あらためて読み返して,やはり怖かったです。とくにわたしが怖く感じるのは,母親を殺した少女(?)の霊が,ゆっくりと振り返るシーン。少女と思われていた霊は,じつは母親のエゴのために,成長を止める薬を飲まされた成人女性で,躰つきは子どもなのですが,顔は成人の,それも中年女性のような顔をしていて,そのアンバランスさが,なんとも不気味です。結末は,死んでしまった主人公の霊が,閉ざされた家の中で,少女とも中年女性ともつかぬ異形のものに追われつづけるという,なんとも救いのないエンディングです。ここらへんに,女性作家(小説家,マンガ家問わず)の「凄み」のようなものを感じます。

 「ネジの叫び」は初出誌が掲載されていないのではっきりしませんが,絵のタッチからすると,ずいぶん前の作品のようです(マンガも小説と同じようにきちんと初出誌のデータを出してほしいものです)。『アラベスク』とかを描いていた頃でしょうか? ストーリーは金目当てで結婚した男の悲劇を描いた,オーソドックスなミステリ風ホラーです。ただ結末は,のちの山岸作品に共通するものがあります。

 表題作も,人形ネタのオーソドックスな怪談です。「人形(にんぎょう)」というのは,もともと「人形(ひとがた)」と読んで,いわば人間の身代わりです。人間に取りつく危険のある悪霊や疫病を,人形に肩代わりさせ,それを川に流したりしていたようです。ですから,人間は人形に怨まれても,けっして不思議ではない歴史を持っています。以前テレビで人形供養の寺の映像を見たことがありますが,累々と積み重ねられた人形たちの姿というのは,見ているだけで,おぞおぞと肌が粟立ってくるような不気味さと恐怖を感じさせます。
 思いっきり想像をたくましくすれば,SFでしばしば描かれる「ロボットの叛乱」というネタも,もしかすると人間の人形に対するもやもやとした不安感や,身代わりにしたという後ろめたさ(ロボットも危険な場所で作業する人間の身代わりともいえますから),そういったものが根源にあるのかもしれません。

97/05/12

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