山岸凉子『タイムスリップ』文春文庫 1999年

 6編をおさめた短編集です。

「天鳥船」
 山中で睡眠薬を飲んで自殺を図った“ぼく”は,気がつくと奇妙な家に寝かされており…
 いまや,この作者の定番となった感さえある「臨死ネタ」であります。ただ読み慣れた目で見ると,オープニングで,そのネタであることが見当ついてしまうところは,ちょっと残念ですね。少年が寝かされていた部屋の障子を開けると,そこは一面の「白」というシーン,それから,不気味な円柱に「ズブッ ズーム」とおじさんが飲み込まれていくシーン,ともに「ぞくり」とさせる不気味さがあります。
「コスモス」
 季節の変わり目,胸の中をヒューヒューと風が吹き,苦しくて“ぼく”はいつも寝込んでしまう。そしてママはパパに電話をかける…
 「子はかすがい」と言いますが,たしかに子どもは男親と女親とを結びつける「かすがい」となる場合が多いでしょう(しばしば「離婚しない」理由として「子ども」の存在が挙げられるように・・・)。この物語でも,主人公の少年は,ケンカの絶えない両親を結びつける「かすがい」となっています。というより,女親によって「かすがい」として使われています。しかし彼女にとっての「かすがいとしての子ども」とは,単なる「子ども」ではなく,「病気の子ども」であり,「病気であり続ける子ども」です。夫を繋げとめるために,子どもは病気であり続けねばならないのです。「どうしよう ママ 心配だわ。そろそろまた裕太ちゃんの胸の風が・・・」とつぶやく母親を描いた1ページ大の大ゴマは,セリフとは裏腹の母親の妄執を鮮やかに,そして冷徹に描き出したシーンだと思います。また,親戚に向かって,夫との不和を「これは私達の問題だから」と彼女が言うとき,「私達」の中に,病気の少年は入っているのでしょうか?
「八百比丘尼」
 友人のいない孤独な女子高生・江崎は,美人の八重子に誘われ,彼女の別荘を訪れる。そこに美しい母親と叔母が住んでおり…
 レスビアン的な雰囲気に満ちたエロチックなストーリィは,ラストで一転,SFホラーに着地します。アンデルセンの童話「人魚姫」のせいでしょうか,「人魚」というとファンタジックなイメージが強いですが,この作品の元ネタにもなった「八百比丘尼伝説」にもあるように,その実,人魚と人間との関係は,いわば「喰う喰われる」という,もっと陰惨なものなのかもしれません。
「蜃気楼」
 妻として母として落ち着きを見せる春枝と,子どもがそのまま大きくなったような愛人・星子。男はふたりとも愛していると信じていたが…
 「居間では淑女,寝室では娼婦」,かつて男性にとっての女性の「理想像」は,こんな言葉で語られました。この物語の主人公は,「淑女(妻)」と「娼婦(愛人)」をともに愛している,愛していると信じています。彼はそれが自分にとって都合のいい,いわば「レッテル張り」であることに気づいていません。女性を,ひとりの人間として見ず,「(家を守る)妻」というレッテルを,「(結婚を申し込まない)愛人」というレッテルを,愛しているように見えます。しかしそれは主人公の身勝手な願望でしかなく,タイトル通り「蜃気楼」なのでしょう。陽気な愛人には彼の他にも恋人がおり,そのことに憤る男に言います。
「だけどわかった? 自分がやられて厭なことは,他人も厭なんだという事を」
 そして興信所に頼んで夫の行動を探った「貞淑な」妻もまた,
「あなたは自分が傷つくのがいやなのよ。あなたは自分のエゴを認められない。自分を悪者にしたくないのよ」
と彼を責めます。彼の張り付けたレッテルがはげ落ちるとき―それは春枝が,星子がひとりの人間として正当に主張するときです―,彼が作り上げた欺瞞という名の「蜃気楼」は姿を消します。そしてそこに残るのは味気ない砂漠だけなのでしょう。「あなたは・・・ごく普通の優しい男(ひと)よ」という春枝のセリフには,同性として「どきり」とさせられます。
「悪夢」
 夢の中で彼女は少女だった。透明な床の奥底の方には,子どもたちが埋められていた…
 平凡だが幸せそうな少女メイ,そして彼女の見る「悪夢」が交互に描かれながら進行するストーリィは,しだいに両者が侵食しあい,夢と現実が交錯しあいながらショッキングなエンディングを迎えます。刑務所で一生を過ごさねばならないメイにとって,「夢の中」と「現実」とは,いったいどちらが「悪夢」なのでしょうか? そんな彼女の姿を作者は,むしろ淡々としたタッチで描き出していきます。それだからこそいっそう,メイが陥っている「精神的退行」の深さが浮き彫りにされているように思います。この作者のサイコものとしては,5本の指に入る作品と言えましょう。
「タイムスリップ」
 「時間」ネタの超常現象を描いたエッセイ・コミックです。作者とアシスタントが体験したという「時間のルング・ワンダルング」((c)諸星大二郎)が,ともに比叡山というところがおもしろいですね。タクシの運転手さんのセリフ「いやあ! この辺はこんなことがよくあるんですよ」のセリフもすごいです。やっぱり宗教的な聖山というのは,なにかあるのかもしれませんね。

99/01/16

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