岩明均『七夕の国』3・4巻 小学館 1998・1999年

 はからずも手にした超能力をどのように用いたらいいか,いまだ見当もつかないナン丸こと南丸洋二をよそに,異形の男・丸神頼之は,その力を使って大規模な破壊活動を開始する。いったい彼の目的とは何なのか? ナン丸たちは彼の暴走を停められるのか? さらに権力が牙をむきだし,頼之と東丸高志に襲いかかる。そして「丸神の里」に秘められた謎の正体は?

 スロゥ・ペースで進んできた物語が,丸神頼之の破壊活動をきっかけとしてようやく動き出した,という感じの3巻でしたが,4巻でなんと完結してしまいました(@o@)
 う〜む・・・『寄生獣』みたいに徐々に進行していったストーリィが,クライマックスで「ぐあっ!」という風に盛り上がるのかと思っていたので,このあまりに早い完結は,肩すかしを喰らったような感じですね。とくに4巻の中頃で明らかにされる「丸神の里」の謎も,少々「解説モード」といったところがありますし,また丸神頼之が迎えるエンディングもどこか腰砕けの印象が残ってしまいました。といっても,作者自身が,この程度のヴォリュームで構想していたかもしれないので,なんとも言えませんが・・・

 さて,超能力やら謎の村やら,伝奇的な色彩が濃い作品ではありますが,ラストで宇宙人が絡んでくるあたりは,まぁ,予想通りといったところでしょう(「カササギ」の謎解きはなかなかおもしろかったです)。しかし,この作品で作者が描きたかったのは,「力」という問題だったのかもしれません。
 4巻において,謎の失踪を遂げていた丸神教授が登場,「クローン人間」の話をします。「珍しい技術がある。いく通りもの利用方法が考えられる・・・どす黒い夢は際限なく拡がる」と。このシーンはストーリィ展開からするとちょっと浮いているところもありますが,この「クローン人間」の比喩は,この作品のメインである,丸神一族が持つ「超能力」にもあてはまるものでしょう。
 「力」を隠したまま丸神の里に籠もろうとする長老や丸神教授。一方,その「力」を用いて跳躍をはかろうとする丸神頼之や東丸高志。その「力」を封じ込め,排除しようとする「権力」。不可思議な「力」をめぐって,彼らは対立します。それは「力」をどのように利用するかをめぐる戦いです。
 それに対してナン丸は言います。
「使い道はわからないけど,別に困ってはいませんよ。それはこれにふりまわされていないからです。・・・何かスゴイことができそうな気がするし,何かに利用しなけりゃとてももったいない,とも思う。でも,そこが注意すべき所なんですよ。能力ってのはあくまでも「手段」に役立てるための「道具」なのであって,「目的」そのものじゃない。こんなもんに人間サマがいちいちふりまわされちゃいかんのです。」
 この物語が始まった当初,のほほんとした性格の主人公・ナン丸が,しだいにみずからの超能力に目覚め,戦いの渦中へと入っていくという展開を予想していたのですが,ここにいたって,その予想は完全に裏切られました。ナン丸はあくまで「超能力を持った平凡人・常識人」というスタンスを保つことで,丸神頼之や東丸高志に対置する存在だったのでしょう。「力」を利用しているようでいて,その実,「力」に振り回されている人々(そこには「権力」に執着する人々も含まれます)に対するアンチとしてナン丸は設定されていたのかもしれません。「超能力」をネタとした小説やマンガにおいて,それを「増大」させていく展開が多いのに対して,この作品ではそれとは逆のベクトルを指向しているといえるのではないでしょうか?
 そんな風に考えて,全4巻のカヴァ・デザインを改めて見てみると,第1巻で描かれている超能力を持つ異形の手が,巻を追うごとに次第に「人間」の手に戻っていくのは,このことを象徴しているように思えます。
 同時に,この作品で描かれた「超能力」は,現在わたしたちが手にしているさまざまな「力」,みずからが制御しきれなくなる危険性を秘めた「力」―たとえば原子力,クローン技術など―の比喩なのでしょう。そしてそれらを制御しうるのは,非凡な才能などではなく,ナン丸が持っているような「平凡さ」であり,「常識」なのかもしれません。

99/03/06

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