森川久美『スキャンダルムーンは夜の夢』竹書房文庫 2001年
森川久美『嘆きのトリスタン』竹書房文庫 2001年

 15世紀,地中海貿易で莫大な富を築いた商業都市国家・ヴェネチア。東には巨大新興国家オスマン・トルコが,同じイタリア半島にナポリ,フィレンツェといった都市国家が控え,地中海の覇権を巡って陰謀術策が繰り広げられる中,彼らに互してヴェネチアを支配する若き元首(ドージェ)ヴァレンチーノは,じつは男装の美女だった・・・

 やれ嬉しや! 懐かしの「ヴァレンチーノ・シリーズ」の文庫化であります!
 ・・・・とか書きながら,じつは,最初に本作品を見たとき,「なんか,ゴチャゴチャした絵柄だなぁ」という感じで馴染めず,あまり熱心な読者ではなかったのです(^^ゞ(塩野七生を本格的に読み始める前でしたし・・・)。それが『蘇州夜曲』でこの作家さんの作品が好きになり,『南京路に花吹雪』に熱中したのち,改めて本シリーズを読み返してみると,これがおもしろい! この作者の「話作り」の技量に感心したものです。

 さて今回の文庫2巻には,本編とも言える5編−「スキャンダルムーンは夜の夢」「レヴァンテの黒太子」「恋のページェント」「嘆きのトリスタン」「カスティリアの貴婦人」−と,番外編の2編−「花のサンタ・マリア」「月空遙かに・・・」−の計7編を収録しています。
 このシリーズの舞台は,上にも書きましたように,15世紀のヴェネチアです。この時代,一方でルネサンスが花咲く芸術の時代でもありながら,その背後に数多くの裏切り,密告,暗殺など政治的陰謀が渦巻いていた時代です(「魔女狩り」もルネサンス時代が一番多かったそうですし)。ですから本編の主人公,ヴェネチア共和国の元首(ドージェ)ヴァレンチーノもまた,そんな時代の申し子です。「レヴァンテの黒太子」「カスティリアの貴婦人」では,ナポリ王国やオスマン・トルコの海千山千の政治家・軍人・商人たちと互角に渡り合うプラグマティックな「顔」をのぞかせています(とくに「カスティーリア」で,偽貴婦人と錬金術師アエリアを手玉に取るところは圧巻です。もっとも,その振る舞いに「母親に似ている」と言われて,落ち込むところはかわいいですが(笑))。
 その一方,この作品は,ルネサンス時代の華やかな側面をロマンチック・コメディという手法によっても描き出しています。その色合いが一番よく出ているのが「嘆きのトリスタン」で,ヴァレンチーノの取り巻きのひとりマーカントニオの恋物語をコミカルに描いています。幽閉されたマーカントニオの思い人オッタビアを救いだそうとするヴァレンチーノ,石壁の上から一言「お待たせしました。リボンの騎士です」には爆笑してしまいました。またラストも,マーカントニオには「お気の毒」としか言いようがありませんが,「おい,どっちが言う」のセリフには苦笑で口許がゆがむのをおさえきれません。

 この2巻でのお気に入りはというと,本編では「スキャンダルムーンは夜の夢」,番外編では「花のサンタ・マリア」です。
 「スキャンダルムーンは夜の夢」は,ヴァレンチーノが庇護した画家パオロ,彼は高級娼婦ロマンツァに恋をするのだが・・・というお話。ふたりの数奇な恋の運命をミステリアスかつサスペンスフルに描きながら,ラストでの鮮やかなツイスト,ホッとするエンディングへと導いていく絶妙なストーリィ・テリングは,心憎いものがあります。それとともに,ヴァレンチーノの,元首であるがゆえの高慢さと孤独さを上手に織り込んでいるところもいいですね。
 「花のサンタ・マリア」では,本編のメイン・キャラクタのひとりアエリア=ミカエルの半生が描かれています。13年ぶりに故郷フィレンツェに戻った彼は,そこで,ひとりのジプシーの少女を養うことになり・・・という内容です。このエピソードには,ミカエルにとって,ふたりの「無垢なるもの」が登場します。ひとりは,若い頃に出会ったアストーレであり,もうひとりは「現在」のミカエルが養うジプシーの少女マミーカです。ミカエルは,このふたりをともに傷つけながら,ともに許されます。しかしアストーレの「許し」が,ミカエルを血にまみれた裏切りと陰謀の渦中へと投げ込むのに対し,マミーカの「許し」は彼を解放します。
 作者は,ミカエルを軸としながら,マミーカとアストーレというふたつの無垢性を重ね合わせながらも,その巧みなプロットで,ラストで両者の違いを鮮やかに対比させています。上にも書きましたように,彼らの生きた時代は権謀術数の張り巡らされた時代です。だからこそ,マミーカの無垢性は,その輝きをより一層増しているとも言えましょう。しかし,彼女の無垢性が,彼女の死によってしか永遠性を保てないこと−それはアストーレの無垢性(あるいはミカエルとアストーレの友情の無垢性)が時の流れの中で変質してしまったことと同義です−は,この世の「生」の宿命的な哀しみを伝えているようにも思います。

01/02/09

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