わかつきめぐみ『So What?』全4巻 白泉社文庫 1997年

 「祖父危篤」の報に実家に飛んで帰った阿梨。彼女を待っていたのは,異世界からやってきた長耳の少女・ライムと,幽霊になったじっちゃん。おまけにじっちゃんが制作に失敗したタイムマシンのせいで,家はときおり異世界とつながってしまう。そのうえ,じっちゃんの教え子・海堂やら,阿梨の同級生・桃太郎やらが,勝手に押し掛け居候。家の周囲には,じっちゃんの研究を盗もうとするスパイ団の暗躍(笑)。秋津島家は今日もにぎやかです・・・・。

 わかつきめぐみのマンガには,独特の「間」みたいのがあります。ギャグの挿入や,登場人物同士の掛け合いが,どこかワンテンポずれたような(わたしにとっては,ですが)印象があります。最初に読んだ彼女の作品『月は東に,日は西に』は,絵柄は好きだったのですが,その「間」になじめないところがあって,結局その1作で離れてしまいました。なにを思ったか,ふたたび彼女の作品を(じつに10うん年ぶりに)手にとって読んでみました。で,どうだったかというと,彼女の「間」にけっこうなじんでいる自分を発見しました(笑)。たしかこの作品,『LaLa』で『月は・・』の次に連載された作品だったと思いますが(間に短編がいくつあったかもしれないけれど),作者が巧くなったのか,それとも読み手のわたしが変わったのか・・・(『月は・・』をもう一度読んでみればいいだけですけどね)。

 本作品は,一応「ファンタジィ・コメディ」ということになってます。たしかに異世界からライムやら,クィネック(子どものドラゴンみたいの)やら,巨大猫やらが日常生活に入り込んできますし,じっちゃんは幽霊になっても,海堂とともに研究を続けているし,おマヌケとはいえスパイ団が,秋津島家を監視しています。ただ,どうも登場人物たちがいずれも,「ファンタジィの登場人物」だという自覚(?)にとぼしいようです(笑)。とくに主人公・阿梨,もともとボケらっとした性格設定ですが,物語が進むにつれ,ボケ度に拍車がかかります(でも,春の気持ちいい日,道端でもいいから眠りたくなってしまうことって,ありますよね(^^;)。だからいろいろとファンタジィ的状況に対面しても,慌てず騒がず,淡々と受け入れてしまいます。クィネックが登場するエピソードでは,彼(?)に乗って,学校まで桃太郎のお弁当を届けたりします。
 むしろ本来ファンタジィの側に属するはずのライムの方が,自分の異質性に対してナーバスになっています。また妙に所帯じみていて,阿梨に料理を教えたりします(笑)。まあ,似たような傾向は,この作品の登場人物に多かれ少なかれあり,この作品では,ファンタジィと日常とが,途切れることなく,同一地平でつながっているように思えます。そんなファンタジィと日常とが,“まぜご飯”状態の内容が,この作者の特徴である,細くてシンプルな描線,白っぽくてほんわかした画面によくマッチして,この作品の不思議な雰囲気を作り上げています。

 しかしその一方で,この“ファンタジィな日常”は,つねに不安定であやういものを抱え込んでいます。なぜなら,阿梨をのぞく秋津島家にいる人々というのは,桃太郎はともかく,ライムにしても,海堂にしても,じっちゃんの幽霊にしても,ライムの元の世界への帰還をもって解消するものだからです。そして海堂もじっちゃんも,ライムを戻すために秋津島家にいるのです。第3巻で描かれた,アクシデントでライムが別世界に飛んでいってしまうというエピソードは,その“日常”の不安定さを端的に表しています。ほんわか,のんびりタッチの物語は,その後半,そんな不安定さが生み出す,どこかもの哀しくせつない雰囲気をも漂わせるようになります。そしてライムの帰還をもって,この物語は幕を閉じます。
 さきに書きましたように,この作者の作品のあまり熱心な読者ではなかったので,口幅ったいのですが,『月は・・・』で描かれていた,文化祭などの学生生活,それは秋津島家の“ファンタジィな日常”に通じるものがあるのかもしれません。そして,この作品は,そんな“日常”からの“卒業”を描き出しているのかもしれません。しかし学生時代の思い出が,その後も心の中に長く残るように,ライムたちと過ごした“ファンタジィな日常”もまた,阿梨の中にかけがいのないものを残していったのでしょう。

 で,最後に名言をひとつ
「なんでも恋愛沙汰に結びつけたがるのは,欲求不満か想像力貧困のどちらかじゃねーの」(by桃太郎)

97/09/20

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