伊藤潤二『死びとの恋わずらい』朝日ソノラマ 1997年

 伊藤潤二のホラーコミックは怖いです。なにが怖いといって,まず絵が怖い。リアルなタッチで細部まで描き込まれた,けっして量産向きでない絵。楳図かずおを彷彿させる斜線を多用した陰影のある絵。そのタッチで描かれたグロテスクな異形のものたち。まさに正統派ホラーコミックの直系だと思います。
 そしてストーリー。この作者の描くホラーのストーリーは大きく分けて2タイプあると思います。ひとつは圧倒的で暴力的なまでの不条理な設定のもの(たとえば「首吊り気球」「赤い糸」),もうひとつはミステリのテイストをもったホラー(「脱走兵のいる家」「あやつり屋敷」など)です。どちらも好きですが,この4話よりなるオムニバス作品は,後者に近いように思います。

 物語は,霧深い街難澄(なずみ)市に,中学生深田龍介が10年ぶりに戻ってきたところから始まる。その街では,四つ辻で偶然出会った人に占ってもらう「辻占(つじうら)」が少年少女たちのあいだに流行していた。しかし龍介は10年前,占った相手の女性が自殺してしまうという暗い過去があった…。
 一方,龍介が街に戻るのと時を同じくして,街には「四つ辻の美少年」と呼ばれる謎の男が出現。辻占をする人々に不吉な予言を残していく。そして彼で出会った少女たちがつぎつぎと自殺。龍介に恋する鈴枝もまた「四つ辻の美少年」に出会い,やつれ果て,龍介の目の前で自殺。龍介は謎の美少年を追って,霧の街を彷徨う。しかし「四つ辻の美少年」は,その占う相手の人生をつぎつぎと狂わせていき,美少年の噂にとり憑かれた少女たちのため,街はパニックの様相を呈しはじめる。「四つ辻の美少年」とはいったいなにものなのか?

 この物語の怖さは,「四つ辻の美少年」に出会った人々が,徐々に狂い,壊れていく様が,そのリアルな絵柄で「これでもか」といった感じで描かれているところではないでしょうか。とくに「第2話 悩む女」では,不倫に悩む女性が「美少年」に出会い,みずからの悩みをみずからの手で深くしていきます。胎内にいる我が子を殺し,不倫相手の子どもも殺し,そして・・・,というすさまじい展開で,その行き着いた先も,なんともショッキングです。
 また「第4話 絶叫の夜」では,龍介のよき理解者であり,彼に恋するみどりまでもが,嫉妬の炎に身を焦がし,ついには龍介を憎悪するようになっていきます(龍介宛(?)のラブレターを引き裂くみどりの姿は,鬼気迫るものがあります。)。
 「美少年」は,人の心の中に蠢く怨み,憎しみ,欲望といった暗闇を掘り起こし,増幅させる,そんな存在のようです。たしかにこの物語には,幽霊がでてきますが,ほんとうに怖いのは,そういった「美少年」という増幅器を通じて描かれる人間の心のダークサイドなのかもしれません。そんな人々の心の闇と,そのグロテスクな結末を描きつつ,物語は,「美少年」と間違われた龍介が,焦燥にかられながらも,「美少年」を追跡する,とミステリアスに展開していきます。
 ただ結末が,不条理ホラー風に終わってしまっていて,ちょっと物足りない感じが残りました。まあ,ここらへんは読み手の趣味の問題かもしれませんが。

 ところで「辻」というのは,古くより,宗教的に特別な場所とされていたようです。平安京や平城京の「辻」を発掘すると,祭祀に使ったと思われる土器が出土することもあるそうです。道と道とが出会う「辻」は,人と「魔」とが出会う(出会ってしまう)不可思議で危険な場所だったのでしょう。
 「四つ辻の美少年」もまた,そんな「魔」のひとりだったのかもしれません。

97/07/14

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