ここの感想文はネタばれですので,ご注意ください

楳図かずお『洗礼』全4巻 小学館文庫 1995年

 さて,この物語は,驚愕のエンディングを迎えます。
 いずみとさくらの脳移植をおこなった医師・村上が,じつは何十年も前に,いずみがまだ子どもの頃に死んでいることが明らかになります。村上医師とはいずみの妄想から作り出された人物だったのです。つまり,いずみとさくらの脳移植手術は行われなかったということです。そしてこのことは,「いずみの脳が移植されたさくら」というのは,じつは「いずみの脳が移植されたと思い込んでいたさくら」であることを意味します。
 そのことを否定し,耳をふさぎ身体を硬直させる「さくら」ですが,埋めた母親いずみが蘇るのを目撃し,現実を覚ります。砂の像のごとく崩れ去る「村上医師」。物語は,抱き合う母娘の姿を描きながら,静かに幕を引きます。それはいわば母と娘の「和解」の光景であり,ふたりを縛っていた呪縛からの解放の光景です。

 しかし,本当にそうなのでしょうか?
 このエンディングにより,それまで描かれてきた作品世界は大きく反転します。「いずみの脳が移植されたさくら」によって行われたとされてきたさまざまな行動は,すべて「いずみの脳が移植されたと思い込んでいたさくら」によって,つまり「さくら自身」によって行われたことになります。「脳移植」という異常でフィクショナルな状況で行われた行為ではなく,すべてさくらの妄想に基づく「現実」の世界で行われた行為ということになります。
 ならば,みずからをいずみであると思い込んでいるとはいえ,それらの行為は,すべてさくら内部から発したものであるといえましょう。もちろん,愛する母親が娘(自分)の身体を乗っ取ろうとする,少女にとって残酷きわまりない状況下での異常な出来事なのかもしれませんが,さくらという美しいながら平凡な少女の心の奥底に,そんな冷酷で残忍,そして淫靡な行為を行いうる「闇」があったことを,このエンディングは暗示しているように思います。

 異常な状況はすべて妄想でした,というエンディングは,一見ハッピィエンドのようにも見えますが,じつは現実でのより奥深い「もうひとつの恐怖(=少女の心の中に潜む闇)」を描き出しているのではないでしょうか?

 そして物語は,冒頭の言葉と対をなす,つぎのような意味深長な言葉で終わります。
神とは人にとって何か?
人とは神にとって何か?
そして・・・・・
神は人に何を与えたか?

 「神が人に与えたもの」――それは「思う心」,ときとして人をも狂わしてしまう「思い込む心」の強さ,激しさなのかもしれません。

98/06/13

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