清原なつの『千の王国 百の城』ハヤカワ文庫 2001年

「繰り返す日々
でかける男とまつ女
なぜいくのだろう
たとえば――帰るために」
(本書「真珠取り PATTERN・1 小夜子」より)

 現役の作家さんをつかまえて,「なつかしい」と言ってしまうのは,あまりに失礼なことですが,やはりわたしにとってこの作者の名前は,「なつかしさ」と密接に結びついています。というのも,高校時代から大学時代にかけて,この作家さんの作品にかなりはまりこんでいたからです。
 たとえば「花岡ちゃんシリーズ」で描かれた等身大の大学生活。少女マンガらしからぬキャラクタと,定番の「ラヴ・コメ」的な盛り上がりを拒絶するかのようなコメディ・センスなど,太刀掛秀子・陸奥A子・田渕由美子を抱えた『りぼん』の中ではきわめてユニークな作風が,じつに独特の魅力を放っていました。そして「飛鳥昔語り」。大化改新後の有間皇子を主人公にした本作品は,一見,古代日本を舞台にしたナイーヴな少年の短い一生を追いかけているようで,ラストにいたって思わぬSF的ツイストを見せます。そのときのショックとハートウォームなエンディングは,この作者に対する愛着をますます深めました(早川書房さん,彼女のSF作品を文庫化するなら,ぜひこの作品を入れてください! それもコミック版ではなく雑誌掲載版の方を!!)。
 しかし彼女の「SF魂」は,本文庫にも収録されている「真珠取り」で全開します(あ,このあたりの作家的遍歴は,しっかりとした書誌的情報に基づくものではなく,わたしの個人的な体験に基づくもので,さらにわたしのおつむの中で改変されている可能性があります^^;;)。「宇宙時代」の3組の男女をオムニバス風に描いた本シリーズのうち,「PATTERN・3 まりあ」において,それまでも,正統的なラヴ・コメから一歩距離を置いていた作者が,そのすべてを振り払うようにして描いた結末は,じつに衝撃的でした。「自分と同じ見方・感じ方をするもの同士のボーイ・ミーツ・ガール」という少女マンガの定番を元にしながらも,それを思いっきりSF的に換骨奪胎,作中人物をして「なんてこった! とんでもないハッピーエンドだぜ。こんな結末しか思いつかないのかよ」と言わしめるほどのセンス・オブ・ワンダーにあふれた「ラヴ・ストーリィ」となっています。いや,驚きました。
 で,なぜか,わたしの「清原なつの体験」は,ここでぷっつりと途切れるのです。なぜなのかは,今ではよくわからないのですが,もしかすると「真珠取り」とくに「まりあ」の衝撃があまりに大きすぎて,以降の作品は,たとえ読んでいても,記憶から欠けてしまったのかもしれません。ですから,本文庫中,「真珠取り」以外はすべて初読です。

 「お買い物」は,掲載紙が『本とコンピュータ』と,なかなか異色です。大正時代の家政婦さん風のデザインでもって,オールド・タイプのコンピュータを表現しているところがおもしろいですね。「アンドロイドは電気毛布の夢を見るか?」は,婚約者に逃げられた男が,思わず新作のアンドロイドを,婚約者と同じ顔にしてしまったことから生じた悲喜劇を描いています。人間型アンドロイドをばらまいた男が,婚約者との愛を取り戻し,人間型アンドロイド禁止法案を政府につくらせた女史が,人間型アンドロイドに恋をするというのは,なんだかアイロニカルな結末ですね。タイトルもそうですが,映画版の方のパロディも入ってます。
 表題作「千の王国 百の城」は,設定こそ,物に触ると過去が読みとれるというサイコメトラーの吉村くんが主人公と,SF的ではありますが,むしろ物語のメインは,その「過去」の方にあるので,古代ロマンといった方が適切かもしれません。正編の舞台は,いつとも知れぬ時代のどことも知れぬ場所,生活様式の異なるふたつ民族の対立と確執を,皮肉な運命にもてあそばれる母娘の姿を通して描いています。この作者の描く女性のヌード,けっこう色っぽいですね(=^^=) 続編の舞台は古代エジプト,理知的であり,エジプトの「野蛮さ」を軽蔑するひとりの男が,その「理知」ゆえに身を滅ぼし,代わりに「野蛮さ」の中に安らぎを見いだすというお話。淡々とした筋運びながら,ラスト,猫の遺骸を葬る神殿に向かうディミトリウスロザピスの姿は,じんわりとした感動を呼び起こします。
 「金色のシルバーバック」「銀色のクリメーヌ」は,ともに「異種間恋愛」を描いています。「金色」では少女と,宇宙人に改造され高い知能を持ったゴリラという,不可思議なカップリングですが,最後で主人公が書いた小説の中の一節―「そして私たちはいつかそれぞれの森へ行く日が来るまで,ハゲニアの木の洞でこうして雨をやり過ごしている」―に,ストーリィが集約されるとき,この物語がふたつの「孤独な魂」同士の結びつきという,恋愛小説の一定型を描いていることに気づきます。
 一方の「銀色」は,人間とチンパンジーの三角関係です。チンパンジーのクリメーヌの飼い主(?)であるワシューは,彼女に手話を教え一世を風靡しますが,クリメーヌに想いを寄せれば寄せるほど,学界では浮いてしまい,予算を削られ,ついには彼女を手放さざるを得なくなります。またワシューを手伝う女性ルーシーは,クリメーヌに嫉妬しながらも,嫉妬する自分を認めることができず,自縄自縛に陥っていきます。ラスト,人間の打算と感情とに翻弄されるクリメーヌは,ワシューの嘘(?)を信じながら,手話でこう語りかけます。
「私のささやかな命が,私を育ててくれた人や私を教育してくれた人,愛してくれた人達のためにささげものとなる幸福を,私がこうして伝えられることに感謝します」
 作者が,チンパンジーのクリメーヌを少女の姿で造形したのは,おそらく,人間たちの打算や欲望と対極にある彼女の「無垢の魂」を表現したかったからなのでしょう。

01/06/19

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