南伸坊『仙人の壺』新潮文庫 2001年

 「謎は,おそろしいことであると同時に,ワクワクさせる魅きつけるものでもあります」(本書より)

 イラストレータの作者が,中国に伝わる「志異」「伝奇」をマンガ化し,各編にエッセイともコメントともつかぬ短い文章を付した作品集です。「Comic's Room」に入れたらよいのか,「Novel's Room」に入れるべきなのか,ちょっと迷ったのですが,やはりマンガがメインだろうと判断しました(各文章に「蛇足」とタイトルがつけられていることもありますし)。
 掲示板にて雅夢KMさんからのご紹介作品です。

 堅苦しい話からはじめて恐縮ですが,人の価値観というのは,時代や地域によって違います。ある時代で「良し」とされていたことが,次の時代では「ダメ」になることもあるし,ある場所で「大切なこと」が,別の場所では「どうでもいいこと」であるということも珍しくはありません。ですから,H・P・ラヴクラフトが言うように「人類のもっとも根元的な感情は“恐怖”」であったとしても,「何を怖がるか」「何を不思議と思うか」は,時代や地域によって,違っていてもおかしくありません。

 本編におさめられた「中国の古い奇談・怪談」は,そういった意味で,日本と中国という地域(=文化)の違いと,現代と過去という時代の違いという,二重のフィルタを通して,わたしたちの前に現れています。その結果,過去の中国の人々が感じたであろう「不思議さ」「怖さ」は,二重のフィルタで「濾されて」わたしたちの元へは伝わってこないところがあります。しかし,そういった「不思議さ」「怖さ」の代わりに「奇妙さ」という味わいを持つようになります。
 たとえば冒頭の「仙人の締切」では,仙人は石の羊に変身します。過去の人々はそれを「異」とし,また「驚」としたのでしょう。けれども,作者が書いていますように「何の役に立つのだろうか? なんにもならない」のです。過去の「異」も「驚」も消え失せ,ただただナンセンスな奇妙さだけが感じられます。それはまた,ある男が柳の上で朝露をなめている人物(?)を目撃するというだけの「柳の人」もそうですし,あるいは窓の外に大きな手の化け物が現れるという「怪異」,鼠がわけのわからない予言を執拗に繰り返した末に死んでしまうという「鼠の予言」なども同様でしょう。
 時と場所とを距てているがゆえに生まれてくる「奇妙な味」……中国綺譚の面白みのひとつは,もしかするとそこらへんにあるのかもしれません。

 しかしその一方,時と場所が違っていても,やはり人は人。時と場所を超えて「通じるもの」があるのもまた事実でしょう。たとえば「未来の巻物」には,自分の将来が書かれている巻物を受け取った男が登場します。「見てはいけないと言われたものを見てしまった人物の悲喜劇」……それは人間の宿命的に持つ「好奇心」に由来するのかもしれません。あるいはまた「寿命」に出てくるのは,よくあたる占い師が自分自身の未来を予言してしまうという,一種のドッペルゲンガ話です。このようなタイプの伝説は,作者も「蛇足3」で書いていますように,古今東西で語られているタイプのものだけに,普遍性を持っていると言えましょう。

 そんな「奇妙さ」と「通じるもの」とのちょうど中間に位置するような「水人形」です。身に覚えのない男が感じる恐怖は,どこか今でもありそうな不条理な怖さに通じるものがある一方,「子ども」が男に押しのけられた瞬間に「水」に変じてしまう奇妙さ……そのマッチングが,本編で一番楽しめました。

 余談ですが,作者が「入手が難しい」としている岡本綺堂『中国怪奇小説集』,1994年に光文社文庫から復刊されていて,わりと入手しやすくなっていると思います。この本もおもしろいです。

02/02/28

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