幸村誠『プラネテス』2巻 講談社 2001年

ハチマキ「じゃあ,いい宇宙船員の条件ってなんなんスか?」
母親「必ず生きて帰ってくること」
(本書より)

 有人木星系往還船の搭乗員になるため,日夜,トレーニングに励むハチマキ。すべてを捨てて,その目標にのめり込む彼の前に,新米宇宙船員タナベが現れる。ハチマキの目からすれば,青臭い偽善的な言葉を吐く彼女は,しかし,彼にとって無視できない存在になり・・・

 「前人未踏」という言葉があります。言葉にしてしまえば,わずか4文字の熟語にしか過ぎませんが,その領域に,(結果的にではなく)意図的にたどり着こうとするならば,並々ならぬエネルギーと持続する意志の力,さらに才能が必要となることは言うまでもありません。それゆえ,達成のためには,平凡な生活,安穏とした日常を捨て去らねばならない状況になることも,けっして少なくはありません。平凡・安穏を捨て去ること・・・それは退屈さ,変化の無さとの決別であると同時,ときとして「人」としての常識やバランス感覚,さらには良心さえも踏みにじることにもなり得ます。
 本編中,「ロケットの父」と呼ばれたフォン・ブラウンが,ナチス・ドイツの支援の元に開発した「V2ロケット」の発射実験成功に際して,こんなセリフを言ったと紹介しています。
 「今日は宇宙船が誕生した日だ」
 フォン・ブラウンは,みずからの夢=宇宙船開発の実現のために,ナチスを利用します。そしてナチスを利用するということは,多くの人々の死と苦痛をも利用するということです。このことは,本作中でのハチマキの父親のセリフ−「わがままになるのが怖い奴に宇宙は拓けねえさ」−や,実験の失敗のために324人もの命を失わせたにも関わらず,しれっとして記者会見するロックスミスの態度にも通じます。たしかに彼らの言動をヒューマニスティックに非難することは容易いでしょう。しかし,おそらく「前人未踏」という領域に達するためには,こういった悪魔的な人物もまた必要とされるかもしれません。
 けれども,フォン・ブラウンの宇宙船開発が,人々の死と苦痛の上に成り立っていたように,本編における「フォン・ブラウン」−有人木星系往還船−の開発もまた,発展途上国の犠牲の上に進められます。宇宙防衛戦線のテロリストハキムの言葉−「そばにいる者を踏み台にでもしない限り,星の高みに手は届かない」−は,宇宙開発の持つ「負の側面」を正確に言い当てているでしょう。
 さて,そんなハードでヘヴィ,さらにダークな面を併せ持った宇宙開発に,ハチマキは,いわば「過剰適応」してしまいます。フォン・ブラウンに,ロックスミスにみずからを投影していきます。しかし,それは本巻の冒頭,ツォルコフスキーの言葉に感動したのと五十歩百歩でしかありません。ハチマキ自身ではありません。
 そんな彼にとって,(比喩としてはちょっと変かもしれませんが)「解毒剤」の役割を果たしているのが,タナベです。宇宙飛行士としては未熟な彼女に苛立ち,さらに過剰適応の末に嘲笑うハチマキですが,事故のため宇宙を諦めざるを得なくなった同僚を前にして鬱屈する彼が「新しい世界」を見出すきっかけになったのは,彼女の存在です(ハチマキを包み込む「闇」を切り裂く「光」に,彼が「タナベ?」と問いかけるシーンは,じつに象徴的です)。そしてもしかすると,ハチマキにとって次第に大きな存在となっていくタナベとは,彼と母親との冒頭に引用したような会話と結びついていくのかもしれません。

 人は,がむしゃらに「最前線」を目指すときがあります。しかし,ある者は「最前線」に至る前に力尽き,あきらめ,またある者は「最前線」で玉砕してしまいます・・・「最前線」から「帰還」すること。それこそが「真の英雄」なのかもしれません。ハチマキにとってタナベが「帰るべき場所」になるのかどうか,それはこれから次第なのでしょう。

 ところで,本巻に挿入された「超外伝」の4コマ。タナベが「ナマコ」をペットにしているのも笑っちゃいましたが,日本人がナマコを食べると聞いたフィーの言葉「罰ゲーム・・・・とか・・・・」に大笑いしちゃいました。たしかになぁ・・・^^;;

01/12/04

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