夢枕獏・岡野玲子『陰陽師』9巻 白泉社 2000年

 スコラ倒産後,どうなることか,と思っていましたが,無事,白泉社に引き継がれての第9巻です。3編を収録しています。

「瓜仙人」
 源博雅は,宇治で出会った不思議な老人から,安倍晴明への伝言を頼まれ…
 前巻の「阿倍晴明 天の川に行きて祈ること」と,本巻所収の「内裏 炎上ス」との間をつなぐようなエピソードです。瓜仙人こと丹蟲方士が,瓜の種を地中に埋めて,瞬く間に瓜の実を生らせる呪法は,なにやらエロチックなもののようですが(まぁ,「繁殖」に関わる呪法ならば,それも当然でしょうが),そのことは,このシリーズの準レギュラ真葛の「解禁」と響き合います。「解禁」とは,どうやら結婚適齢期になったことを指すようです。当時は妻問い婚ですから,作中の言葉通り,「夜這い」なわけで,しらりとそんな言葉を話す真葛に対して,晴明が,「おれは教えてない……誰だ……巻物か……?」と,ちょっとうろたえ気味のところは笑ってしまいます。また真葛の「門は開けとけよ」のセリフに,「やけに堅く門を鎖す」ところは,かわいいですね。さてさて「究極の保守派」(笑)晴明と真葛との恋の行方は如何?
「源博雅 思わぬ露見のこと」
 廊下ですべった博雅。周囲のものは「不吉」と称して,強引に「方違え」をし,彼を,とある屋敷に連れて行くが…
 晴明が「究極の保守派」ならば,博雅は「究極の朴念仁」といったところでしょうか(笑)。その野暮天に,どうやら周りの者がやきもきしている様子,このエピソードで,本人が知らないうちに,婚儀相整ってしまいます(爆笑)。まぁ,こういう風にでもならなければ,博雅,楽器の名前と女人の名前の区別もつかないでしょうね。それにしても,廊下ですべるという,ほんのちょっとした「日常性からの逸脱」だけで,「陰陽師を呼べ」とか,「方違え」とか,当時の人々の生活は,なにかと面倒くさかったのでしょうね(もっとも,今回の場合は,廊下に「何か塗ってあった」らしいですが…)。
「内裏 炎上ス」
 不吉な怪異が続発する内裏。博雅は晴明に相談するが,折りも折り,内裏で火災が発生し…
 本シリーズ第2巻所収の「鬼のみちゆき」の中で,平安京は「大内裏を四縦五横にすることによって,異層異界へ通じる門を開けてしまった」と語られています。なおかつ霊的に防御された平安京からは,鬼たちは逃げられない,その結果,都には魑魅魍魎が横行することになるとされています。晴明が担う役割は,そんな霊的に不安定な都を護ることです。それゆえ,前巻における「雨乞い」は,「宇豆の雨」を降らせることで,都を浄化するという側面も持っていたのでしょう。
 しかし,一時,「宇豆の雨」によって「穢れ」を流しても,平安京が構造的に不安定さを抱え込んでいる以上,晴明の仕事は,ある意味「鼬ごっこ」にならざるをえない宿命を持っています。そのことを―自分の力と仕事の限界を―晴明は知っています。「事が起こる前にもらい泣きをするのか・・・おれは・・・」のセリフは,その自覚を端的に示しているように思います。
 ですから,仏僧浄蔵の「怪異を鎮める」というセリフに対して傲慢さを感じ取るのでしょう。晴明は,陰陽道によって世界を理解し,ときにコントロールしますが,無理に押しとどめたり,歪ませること,つまり「鎮める」ことは,あえてしないのかもしれません。変な喩えですが,浄蔵のスタンスが,みずからの力と技量で相手を撃破する「空手」とするならば,晴明は,相手の力を利用して倒す「合気道」のようなものなのかもしれません。おそらく飄々とした彼の姿は,そこらへんに由来するのでしょう。だからこそ,晴明の最後のセリフが生きてきます。
「壊れる,ということは,よいことなのだよ,博雅。終わる,ということは,よいことなのだよ。炎をくぐって新しく生まれかわるのさ」
 「水」によっても浄化しきれなかったものが,「火」によって浄化される―そういった意味で,このエピソードは,前巻と対をなすものと言えるかもしれません。

00/04/01

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