高橋留美子『夜叉の瞳 人魚シリーズ3』小学館 2004年

 シリーズ第3集。たしか,本シリーズの既発表作品は,これですべてだったと思います(もし,その後に発表されていたら,ぜひご教示ください(_○_))。

「舎利姫」
 “人魚の肉”を薬として売り歩く老人。肉こそまがいものではあったが,彼が連れ歩く娘なつめは,人魚の肉を用いた反魂の術によって蘇った少女だった…
 このエピソード,好きなんですよね。なんといってもなつめのキャラクタがいいです。彼女の持つ残酷さやグロテスクさは,けっして彼女の責任ではありません。大人の思惑によって,「そういったもの」として産まれてしまった以上,彼女にとって,それは「あたりまえ」のことなのでしょう。しかし,その「あたりまえ」さが,社会と折り合わないゆえに生じる「あやうさ」が,彼女の健気さ,可憐さを引き出しているのだと思います。ラスト,やはり人魚の肉によって人生を狂わされた湧太が,僧侶の供養を拒むのは,なつめの哀しい生き様・死に様に,自分と同じものを見たからなのでしょう。
「夜叉の瞳」
 殺しても,何度も何度も蘇ってくる男。しかも男は数十年前にすでに死んでいるはずだった。湧太と真魚は,生死の境を超えた姉弟の確執を見る…
 ストーリィの牽引力となっているのは,たしかに,ストレートで攻撃的なサイコ,弟の新吾なのでしょうが,物語全体の底部を支えているのは,姉晶子の「静かなる狂気」なのかもしれません。それは,弟を想う彼女の「思いやり」なのでしょうが,動けぬ身体で,いつまでも,どこまでも弟をコントロールしようとする彼女の「思いやり」は,底知れぬ不気味さが感じられます。湧太が,彼女に対して思慕を抱いていたとすることで,彼の記憶の中の彼女と,再会したときの「彼女」の姿とのギャップが,その狂気の,哀しみの入り交じった不気味さを,上手に強調していると言えましょう。
「最後の顔」
 湧太と真魚が遭遇した少年の拉致未遂事件。少年は,飲むと傷がたちどころに治る奇怪な“薬”を持っていた…
 本編で「不老不死の妙薬」として設定されている人魚の肉は,厳密に言うと,肉体を再生する「力」を持ったものと言えます。そんな「肉体再生能力」を巧みに利用したストーリィとなっています。「なるほど,こういった手もあったか」と感心しました。モチーフ的には,大人の思惑と人魚の肉に翻弄される子ども,という点で,前出「舎利姫」に通じるものがあります。最後に「私は…そんなに強くない…」と,登場人物に言わせることで,ヘンな「母性愛もの」に収束させていないところが好感を持てます。ところで,大人の方の七生,少年の七生との共通性を出すためでしょうが,成人キャラのわりに妙に眼が大きく表現されています。少々違和感があります。

04/02/15

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