漆原友紀『蟲師』3巻 講談社 2002年

 「…畏れや怒りに目を眩まされるな。皆,ただそれぞれがあるようにあるだけ」(本書「眇の魚」より)

 人と蟲とをつなぐ蟲師ギンコを主人公とした連作シリーズの第3巻。5編を収録しています。

「錆の鳴く聲」
 とある山間の村で蔓延する病。その原因はひとりの少女の「声」にあった…
 「犬笛」と呼ばれるものがあります。人間の可聴領域外の,犬には聴き取れる「音」を発する笛です。また赤外線紫外線は,人間の見えない「色」ですし,さまざまな病気の原因になるウィルスも,「顕微鏡」という機械的な「目」を人間が持つことによって,はじめてその存在を知り得た微少なものです。つまり「世界」には,人間の知らない「音」と「色」に満ちあふれているのでしょう。しかし「見えないこと」「聞こえないこと」は,「関係のないこと」とイコールではありません。否が応でも関わってしまうことがあります。本エピソードの主人公しげの声に含まれる,「野錆」という蟲を引き寄せてしまう「音」…それは彼女の責任ではないし,ましてや悪意をもって「野錆」を引き寄せているわけではありません。しかしそれでも不幸は起こってしまう。そこに人と蟲との関係の「危うさ」があるのかもしれません。そういった意味で,ギンコがとった処置というのは,人と蟲とを共存させる,彼らしいスタンスから導き出されたものなのでしょう。また「なぜテツは「野錆」に寄生されないのか?」という謎解きも,ミステリ者としては楽しめました。
「海境(うなさか)より」
 浜辺で海を眺め続ける男。彼の女房は2年半前,海の上から不思議な失踪を遂げた…
 海の向こうや海中に「異界」があるという発想は,たとえば沖縄のニライカナイや,浦島伝説のように,海に囲まれた日本列島ではオーソドクスなものなのでしょう。ふとした行き違いが永遠の別れになってしまうという実際にもあることを,蟲を絡めることで,男のせつない気持ちをより鮮烈に描き出しています。そして濃霧=蟲の中で,「陸に戻ろうと思う者にしか陸は見えない」という設定は,「ふとした行き違い」の奥底に潜む,悲しいまでの現実(本質的な「行き違い」)を見せているように思います。
「重い実」
 天災のたびに豊作になる不思議な田圃。しかしそのときは必ず人ひとりが「連れて行かれる」という…
 「集団の存続のために多少の個人の犠牲は仕方がない」…権力者がそういうことを口にするときは注意しなければなりません。なぜなら彼らの言う「集団の存続」とは,往々にしてみずからの保身の言い換えでしかないからです。しかし,人間の歴史の中で,現実問題としてこのような選択が繰り返しなされてきたこともまた事実なのでしょう。それを批判することは容易いことなのかもしれませんが,みずからをその「場」に置いていない人間からのそれは,あまりに軽率なものでしょう。“ナラズの実”という蟲を使って豊作にした男“祭主”は,自分の妻がその「犠牲」になり,そしてその結果である米を「体は貪欲なまでに吸収していった」自分を見いだすことで,その「選択」の酷さを知ります。「蟲」を一種のメタファとして描くこともある本シリーズですが,この作品はその色合いがとくに強いように思います(いや,わたしが勝手に「メタファ」と思ってしまっているだけかな?)。
「硯に住む白」
 蔵の中で子どもが見つけた硯。それに水を垂らして以来,子どもたちに奇病が発生し…
 「錆の鳴く聲」に見られたミステリ・テイストが,本作品でも活かされています。なぜ「蟲の硯」を作ってしまったたがねは生き延び,彼女の恋人は死んでしまったのか? そして同じ「病」に罹ってしまった子どもたちは救う方法はあるのか? 自分が思いを込めて作った「モノ」が恋人を死なせる結果になってしまった少女の悲しみを軸としながら,ストーリィはミステリアスに展開していきます。たがねの「ある行動」を伏線にしながら,ラストの解決へと導いていくところは,ミステリ者としてはじつに心地よいですね。
「眇の魚」
 山中で遭難し,母を失った少年は,沼のほとりに住むひとりの女に助けられ…
 「ギンコ誕生譚」です。元ネタは柳田国男「一つ目小僧」でしょうね。「片目」であることが,通常の人間とは違う「聖別された存在」の象徴として,柳田国男は理解しましたが,本編では,「片目」は「人間界」から「異界(蟲の世界)」へと移る「過度状態」として描かれています。だからこそ,片方の目を失うことによって,「人間界」と「異界」との両方に脚を踏み入れ,両方を「見る」ことができるようになるということは,一見するとアイロニカルでありながらも,どこか説得力のあるように思います。そう言った点では,上に書いた「聖別された存在としての片目」という柳田説にも通じるところがあるのかもしれません。しかし,ぬいヨキ(のちのギンコ)にかける言葉−「愛する故郷のない事は,きっとお前には幸運だ」は,そんな「目」を持ってしまった蟲師のはかり知れない孤独を言い表してるように思います。

03/01/14

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