浦沢直樹『MONSTER』Chapter17 小学館 2001年

 「私には,忘れたくない記憶がある・・・」(本書 ニナのセリフより)

 ニナに銃口を向けられたヨハンが語る過去。だがそれはニナ自身の記憶だった。「夢からさめた」と呟くヨハンは,すべてを消し去ろうとする。自分が知っている者たちを・・・自分を知っている者たちを・・・そして「安らぎの家(ルーエンハイム)」と呼ばれる山間の小村で殺戮が始まる。ヨハンの「完全なる自殺」のために・・・

 子どもにはときとして,他人の経験を自分のものとして記憶することがあるそうです。また辛い経験をした子どもたちは,記憶を「失う」こともあります(多重人格障害はしばしば辛い経験を「別人格」が体験したこととして生じるそうです)。ですから,ヨハンニナ・・・母もなく,父もない,たったふたりきりの双子である彼らにとって,お互いの経験,記憶が入り交じることも,けっして不自然ではないでしょう(かつて匂わされた「ヨハン多重人格障害説」は,ヨハン自身の記憶とニナの記憶とのせめぎ合いと解釈することもできましょう)。
 しかし一方で「記憶」は,自分が自分であること,つまりアイデンティティを確認するもっとも重要なものです。記憶があるからこそ,過去の「自分」と現在の「自分」とを連続したものとして確保できます。もしその「記憶」が他人のものであったら,さらに,その「記憶」をスタート地点として,のちの人生を送ってきたとしたら・・・本集のサブタイトル「ただいま(I'M HOME)」とは,ヨハンにとってあまりにも残酷なものと言えるかもしれません。帰ってきた場所にはあるのはただ空虚だけ。それゆえヨハンは,自分自身の抹殺を計ります。自分を生み出したフランツ・ボナパルタを殺し,彼が知る,彼を知るすべての人物たちを抹消することで,「完全なる自殺」を遂げようとします。
 ヨハンの中に巣くう「怪物」は,彼自身をも喰らいはじめたようです。

 そして物語は,ドイツ南部の小さな村ルーエンハイムへと移ります。平凡で退屈,しかし平和な小村は,しだいしだいに殺戮の荒野へと変貌していきます。どんな平和な町にも必ずと言っていいほどある不和や軋轢,あるいは町の人々から疎まれる「あぶれ者」・・・これまで描かれてきたヨハンの「悪魔性」とは,人の心のどこかに巣くう悪意や不満を巧みに誘導し,心を操っていくことにありました。ルーエンハイムは,まさにその集大成的な形で,破局へと,破滅へと,坂を転がりはじめます。作者は,それにいたる過程を,さながらスティーヴン・キングばりの綿密さで描いていきます。とくに宝くじを当てた夫婦が,疑心暗鬼にかられ,拳銃を多数買い込むところは,サスペンスをぐいぐいと盛り上げていますね。
 一方,ルーエンハイムには,ヨハンを追うルンゲ警部グリマーが,それぞれ別の手がかりをたぐってたどり着いています。さらにテンマニナもまた,ルーエンハイムへと向かいます。豪雨のため,陸の孤島と化したルーエンハイム・・・彼らはヨハンの「自殺」を止めることができるのか・・・今度こそ,本当のクライマクスが近づいているようです。

 しかしこの作者の作品の魅力は,どんなに破滅的・絶望的な状況にありながらも,つねに「希望」を語ることを忘れない点でしょう。ひとつは,たとえば冒頭に掲げたニナのセリフ。すべての「記憶」を消し去るという,ひたすら「負」の方向へとひた走るヨハンに対して,たとえ辛い記憶であっても,それらを引き受けることでみずからの「生」を全うしようとするニナ。かつて記憶を共有したこともある双子ではありますが,いま,それぞれが獲得したベクトルはまったくの逆方向を向いているようです。
 それともうひとつは,ルーエンハイムに住む少年ヴィム。周囲の子どもたちにいじめられ,彼らを撃ち殺すことができる拳銃を与えられながらも,引き金を引かなかった少年です。それが明らかになるまでの緊張感あふれる展開も相まって,「ふう」と思わずため息が出るような感動的なエピソードです。

01/09/08

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