浦沢直樹『MONSTER』Chapter15 小学館 2000年

 「俺は・・・・・悪魔のシナリオ通りには動かない・・・・・・なぜなら,誰も・・・・死にたがってなんかいないから・・・・・」(本書より)

 “赤ん坊”たちの目的は,エヴァを利用してヨハンに近づくことだった。そして目的を達すると,マルティンに彼女に殺害を命じる。だが“悪魔”の真意を知ったマルティンは,エヴァとともに逃亡をはかるが・・・

 アニメーションのことを「動画」と言いますが,それに対して,コミックのことを「静画」とは言いません。しかしあえて言えば,そんな風にも表現できるでしょう。ですから,「静画」であるコミックは,動かない「画面」を,どれだけ「動いているかのように」見せるテクニックというのが発達してきたと思います(バックの斜線,動きの部分を斜線だけで描く手法,あるいは逆にスローモーションの如く残像を描く方法などなど)。しかし,その「動」の描写は,その一方で「静」の表現があるからこそ,逆に上記のような「動」の表現が記号として機能しているともいえます。いわば,コミックは「動(であるかのような)」の表現と「静」の表現とのコントラストから成立しているとも言えないことはありません。
 さて,なんでこんなことを書いたかというと,この作品が「動」と「静」とのコントラスト的表現がじつに巧いということを言わんがためであります。組織を裏切ったマルティンは,エヴァを逃がしますが,当然のように追っ手がかかります。「テンマの元へ行け」というマルティン,「一緒に逃げよう」というエヴァ。部屋を出ていこうとするエヴァは,マルティンを振り返ります。1ページを三段に分け,上二段に,それぞれエヴァとマルティンのアップ,そして三段目に,閉まるドア。絶望的な袋小路に追いつめられた男と女の悲しい別れを,見事なまでに「静」の描写で描き出しています。そして次のページでは,追っ手に対して銃撃戦を繰り広げるマルティンの戦いが描かれ,一気に「動」へと展開していきます。もちろん,このような「静」と「動」とを連続的かつ自然に描き出すための「筋運び」の巧みさも前提としてありますが,それ以上に,「静」と「動」との鮮烈なまでのコントラストを配することで,ストーリィ展開にメリハリをつけるところは,やはりこの作者の技量なのでしょう。
 そして,マルティンを介して,ついにテンマと再会したエヴァ。「Drライヒワインの元へ隠れろ」というテンマの言葉に逆らって,ヨハンを殺そうと決意する彼女の運命は,さてさてどうなるのか,目の離せないところです。

 本巻後半では,もうひとりの主人公ニナにスポット・ライトがあてられます。「赤いバラの屋敷」を訪れたのをきっかけに,しだいしだいに記憶を取り戻す彼女は,しかし,その「隠された記憶」のおぞましさゆえに完全に思い出すことができません。そして催眠療法によって,完全に記憶を蘇らせた彼女は,Drライヒワインとディーターの元を去り,ふたたびヨハンを追います。「私が行けば,テンマを救うことができる」という想いを胸に秘め・・・
 この一連の展開の過程で,ヨハンとニナとの関係が,少しずつ,当初描かれていたものと違ってきていることがわかります。ニナが,単に「ヨハンが執着する双子」というだけでなく,ニナ自身もまた,ヨハンの「計画」に深く関わっていることが示唆されています。それゆえ,ニナとヨハンとの再会は,もしかするとニナを破滅へと,ヨハンとともに破滅へと向かわせる旅程になるかもしれません。このような展開の果てに,作者は,彼女に,そしてテンマに「救済」をもたらすことができるのでしょうか? それとも避け得ようのない悲劇へとひた走っていくのでしょうか? 

00/11/03

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