浦沢直樹『MONSTER』Chapter14 小学館 2000年

 「エヴァを殺す」――ヨハンの腹心の部下ロベルトのセリフをきっかけに,刑務所を脱走したテンマは,エヴァの行方を探す。一方,自分の埋もれた記憶を手がかりに「赤いバラの屋敷」にたどり着いたニナは,部屋の中に累々と横たわる死体を幻視する。「赤いバラの屋敷」で,いったい何があったのか? そしてヨハンは呟く。「すべてわかったよ。僕らがどこから来て・・・どこへ行くのか・・・」 またヨハンに深く関わったヴォルフ将軍もまた,死の間際にテンマに告げる。「暴走が始まろうとしている・・・」

 本巻では,この物語のふたりのヒロイン,ニナエヴァに焦点を当ててストーリィが進行していきます。
 が・・・その前に,前巻からのつづき,弁護士フリッツ・ヴァーデマンをめぐるエピソードにピリオドがうたれます。この幕の引き方はうまいですね。スパイ容疑をかけられたフリッツの父親が,冤罪だったと思いきや,じつはやはりスパイで,さらに彼が残したメモがテンマとヨハンを結びつけ,メイン・ストリームに合流する展開もさることながら,それ以上に,フリッツの妻が妊娠しているシチュエーションが,ストーリィを盛り上げるのに巧みに用いられています。
 「妻の妊娠」は,ヨハン(あるいはロベルト)から「弱み」として攻撃され,苦い展開を見せるのではないかと思っていたのですが,むしろ,父親がスパイであることをテンマに告白し,また生まれたばかりの我が子を抱きしめ,「信じたいんだ」と心の中で呟くフリッツの姿をエンディングに配することで,「もうたくさんだ! これ以上の犠牲者を出すのは!」というテンマの叫びと響き合わせ,感動的な幕引きを演出しています。

 さて本巻中盤は,ニナが中心となっています。「赤いバラの屋敷」を訪れた彼女は,そこで部屋一杯の死体を幻視します。そしてヨハンによって火をかけられた屋敷からは,46体もの白骨死体が発見され,ニナの「見た」光景が事実であることが裏付けられます。この「屋敷で起こったこと」が,新たな「謎」となって,ストーリィを引っぱっていきます。
 そこにいたる経緯,つまりニナがしだいしだいに記憶を取り戻していきながら,謎が解かれていく展開は,わたしが個人的に「記憶ものミステリ」と呼んでいる好きな手法でもあるのですが,それとともに,オーソドックスな描き方ではありますが,彼女の「回想の断片」を,「現在」の光景の間にはめ込むことでサスペンスを高めていくところは,思わずゾクゾクするような興奮をおぼえます。

 そして終盤は,エヴァのエピソードです。前巻で姿を消した彼女は,ヴォルフ将軍一派によって「匿われている」ことが明らかにされ,彼女につけられたボディガードマルティンの視点で,ストーリィは進行していきます。エピソードそのものは,本巻では未完なのですが,ここでも作者の卓抜したストーリィ・テリングの力量が発揮されています。というのも,本エピソードの冒頭,作者はまず,腹部から血を流し,死に瀕したマルティンが,テンマの元へ駆けつけようとするシーンを描きます。また彼がヨハンをめぐる謎の一端を知っていることが匂わされます。そののち彼がエヴァのボディガードであることが示され,エヴァをめぐるトラブルから冒頭のシーンに繋がることが暗示されます。
 こういった最初に意味ありげなシーンを持ってきて,そのあとにそこにいたるプロセスを描くという手法も,サスペンスの常套ではありますが,マルティンが見たという「あんな恐ろしいもの」とは,いったい何なのか? それはヨハンとどう関わるのか? さらにエヴァが言う「悪い話じゃなかった」という謎の行動の意味は? などなど,しっかり作者の術中にはまり,否応もなく緊張感を感じてしまいます。

 この作品は,いうまでもなく質の高いサスペンスが「売り」なわけですが,本巻の展開は,その持ち味が十二分に発揮されているのではないかと思います。

00/07/08読了

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