五十嵐大介『魔女』1・2集 小学館 2004・2005年

 「“体験”と“言葉”は同じ量ずつないと,心のバランスがとれないのよ」(本書「第3抄 PETRA GENITALIX」より)

 「魔女」をモチーフとした連作短編集です。各集に2編ずつ計4編を収録。また,シリーズ外ではありますが,同じようなテイストを持った綺譚掌編2編−「騎鳥魔女」「ビーチ」−が収められています。

第1集
「第1抄 SPINDLE」
 かつて自分の愛を受け入れてくれなかった男に復讐するため,女は魔女となった…
 たしかに,このようなストーリィのまとめ方でも,けっして間違いではないでしょう。けれども,本編におけるもうひとつの重要なポイントは,その「場所性」にあります。イスタンブール…東洋と西洋とが出逢い,衝突し,さまざま王権と宗教とが交錯し,層をなして形作られた町…町の地下にある貯水池を,東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティヌスの「死後の居城」と設定することで,女の復讐は,イスタンブール=コンスタンチノープル全体を破滅へと導く壮大な野望へと変貌していきます。女は,最後まで「私怨」をキープしていたのでしょうか? それとも,歴史の裏側に沈殿した「闇」に取り込まれてしまったのでしょうか? この作者独特の柔らかいタッチは,同時に,町に襲いかかる異形の者どもの迫力ある造型をも産みだし,ページいっぱいに描かれたそれらは,圧倒的なまでの生々しさを有しています。
「第2抄 KUARUPU」
 愛する男を殺され,聖なる森を守るために立ち上がった呪術師は…
 通俗的な理解ではありますが,「魔女」は,「男/女」「文明/自然」という二項対立的な世界観における「女=自然」を示すシンボルとして用いられます。ゆえに歴史的には,抑圧され,否定される存在として位置づけられます。しかしそれらを一方的に排除してきた歴史が,現在のさまざまな問題の要因のひとつとするなら,本編の魔女=呪術師クマリの抵抗と敗北は,「男=文明」の絶望的な「行く末」をも象徴しているのでしょう。命あふれる密林への容赦のない爆撃シーンは圧巻であり,同時に,その「行く末」の酷さを表現しています。
「第3抄 PETRA GENITALIX」
 宇宙から持ち込まれた“生殖の石”のため危機に瀕した人類…その解消を命じられたのは,ひとりの魔女だった…
 『新約聖書』ヨハネ福音書「はじめに言葉ありき」とあります。わたしたちは「言葉」によって,連続した「宇宙」を分節化し,名付け,秩序だった「世界」を構築します…昼と夜,西と東,聖と俗,善と悪などなど。それはいわば,わたしたちの「宿命」であり,「呪縛」でもあります。それゆえ魔女−「言葉を知りながらそれを捨てることができる者」である魔女は,その「世界」の「周縁」「辺境」へと押しやられます。もし,わたしたちの「言葉の世界」が「宇宙」の中心にあるのだとしたら,魔女はやはり「周縁」に位置せざるを得ませんが,わたしたちの「世界」が,逆に「宇宙」の「周縁」にあるのだとしたら,魔女はむしろ「宇宙」の中心に近い存在なのかもしれません。
「第4抄 うたぬすびと」
 盗んだ金で,恋人と一緒に当てのない旅に出た少女は,船上で,ひとりの女に出逢う…
 その行為が「ルール違反」であることを知っていても,ルールを破ってしまう少女。たとえそれが「罰」であることがわかっていても,みずからを「濁す」世の中からの離脱を求めて,その「罰」を笑顔でもって受け入れる少女…それを彼女の「弱さ」と断じてしまうことは容易いことではありますが,それではあまりにせつなすぎるでしょう。なぜなら,それは誰もが持っている「もの」なのでしょうから。そして「魔女」とは,そんな「弱さ」を冷徹に見据える者を指すのかもしれません。

05/11/13

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