H・P・ラヴクラフト/松本千秋・岡本蘭子『ラヴクラフトの幻想怪奇館』大陸書房 1990年

 けっこうありそうでいて,じつはとても少ない(らしい)H・P・ラヴクラフトのマンガ化作品です。ふたりの作家さんが3編ずつ,計6編をマンガ化しています。内訳は以下の通り。

松本千秋:「レッドフックの怪」「エーリッヒ・ツァンの音楽」「アウトサイダー」
岡本蘭子:「魔犬」「死体安置所にて」「宇宙からの色」

 で,このマンガ化が成功しているかというと,素直に「OK」とは言えないところが辛いですね。
 たとえば松本作品の場合ですと,この作家さんは,どちらかというとイラスト系の感じの強い方のようですね。ですから,原作者の「異端者」としての孤独をモノローグ的に描いた「アウトサイダー」では,主人公が彷徨う巨大図書館や螺旋階段,人気のない街並みなどの描写,また「エーリッヒ・ツァンの音楽」でも,点描を多用した演奏シーンなどは,けっこう雰囲気が出ています。
 しかしこの作家さん,人物描写に,いまひとつ「動き」がないようなところがあります。とくに「レッドフックの怪」は,主人公が刑事で,活劇調のところのある作品だけに,そのイラスト的な画風とややミスマッチな観が否めません。またクライマクス・シーンも,スプラッタにも関わらず,あまりおぞましさが伝わってこないのは,やはり「動き」を十分に描けていないからではないかと思います(スプラッタが好きだというわけではないんですけど)。「エーリッヒ・ツァン」のラスト・シーンもまたしかり。

 一方の岡本作品はといえば,こちらの絵柄は,どこか萩尾望都を思わせるタッチで,キャラの「動き」はいいですね。その魅力が十二分に発揮されているのが「死体安置所にて」。葬儀屋が遭遇した怪異を描いた本編は,主人公の「ずぼらさ」がコミカルな雰囲気をストーリィに与えていますが,マンガでもその雰囲気を上手に作画しています。とくにラスト・シーン,「なぜ葬儀屋はモンスタに襲われたか?」という謎解きを,主人公のとぼけた表情のワンカットで巧みに表現していて,苦笑させられます。
 しかし逆に物足りないのが「宇宙からの色」。やはりこの作品の持ち味は,隕石の落下を契機として異形化していく農園や人間のグロテスクさがあると思うのです。そこらへんが,この作者の柔らかいタッチだと,いまひとつインパクトに欠けるうらみがありますね。まあ,この作品は,ラヴクラフト作品の中でもわたしがとくに好きな1編だけに,どうしても「見る目」が厳しくなってしまうところもあるのですが…

 それと,このことは,本作品集だけのことではないと思うのですが,ラヴクラフトの作品の魅力は,その着想だけでなく,文体−「ほのめかし」や「暗示」,あるいは婉曲表現を多用することで,「恐怖の核心」を明示しない文体にあると思っていますので,マンガのように「絵」として表現するのとは,どうしても馴染まないところがあるのではないでしょうか? たとえば「魔犬」の原作は,もう「これでもか」というくらいの「暗示」や「ほのめかし」にあふれていますので,それをストレートに「絵」にしてしまうと,どうしても浅薄な印象を持ってしまいます。
 この作家さんたちの資質や力量の問題なのか,それとも小説とマンガという表現媒体そのものの違いの問題なのか…そこらへんはなんとも断定しかねる難しいところですが…

02/11/30

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