あすなひろし『哀しい人々1―家族日誌』さくら出版 1999年

 「待ってるものや待ってることは,ちっとも来やせんで,欲しくも待ってもいないことが,突然,ことわりもなく,ずかずかと,来やがんのなあ・・・・」(本書「家族日誌」より)

 「日本漫画家名作シリーズ」と名づけられたシリーズの1冊にして,「あすなひろしベストセレクション2」となっています。

 「哀しい人々」というメイン・タイトル(?)からわかりますように,収録された8編は,いずれも市井に生きる人々の哀感をつづった内容になっています。ですが,その描き方にはいくつかのアプローチがあるように思います。
 たとえば「第一話 哀しい人々」では,妹の結婚を前にした兄の苦悩を描き,また「第三話 ラメのスウちゃん」では,とある小さな居酒屋のママさんの過去という形で,彼女が愛した男の死を描いていますが,いずれもユーモアを織り交ぜた展開になっています。しかしそのユーモアはむしろ「泣き笑い」的な側面を持っています。「哀しい・・・」では,妹の結婚式で,つんつるてんのタキシードを着て,子どものごとく号泣する兄の姿や,階段から落ちて死にかけた恋人の前で,彼が好きだったラメの服を着て,「勝ってくるぞと勇ましく!」と踊るスウちゃんの姿に現れています。ですからそれは,ユーモラスでありながら,背後につねに哀しみを抱え込んだシーンとして描き出されていき,ユーモラスであるがゆえに,その哀しみの深さが逆にあぶり出されているように思います。
 そしてそのユーモアは,ときにブラックな味わいをも兼ね備えていることもあります。「第五話 とても,心さびしくて」は,自殺しようとした男を騙して,競馬の勝ち金を奪った男の,皮肉な行く末を描いています。また「第七話 電話殺人」では,田舎で降ってわいた選挙騒動を,スラプスティク風に描いてます。ともに「死」や「殺人」を素材としているせいでしょうか,殺伐さや虚無感さえも漂っています。

 一方,「哀しみ」をサスペンス色豊かに描いているエピソードもあります。「第四話 心中ゲーム」は,ほとんど逢ったことのない男と女の奇妙な心中劇を,生き残った女のモノローグで描いています。それぞれに鬱屈を抱え込んだ男女の,不可思議な心の交流とすれ違いが,陰影を強調したタッチで浮き彫りにされていきます。とくに,路上ですれ違った際にふたりの間に生まれた,ほんのわずかな「ずれ」が,「心中ゲーム」と,その哀しい結末へと展開していき,ラストで「何もかも遅すぎたんです」と女が絶叫するところで,絶望にも似た底知れぬ哀しみが立ち現れてきます。
 また「第六話 歌を消す者」は,歌謡界の大物作詞家・作曲家が,つぎつぎと殺されていくという内容です。事件の進行を描いていきながら,“犯人”である老人の回想をカット・バックで挿入していく手法は,作品全体に緊張感を与えるとともに,ハデな展開の底流に流れる老人の,そんな犯行に至らざるを得なかった哀しみを上手にすくい上げています。

 わたしの一番好きなエピソードは,死を目前にした父親に元に集まった家族の姿を描いた「第八話 家族日誌」です。上に挙げた諸作品に比べると,けれん味こそありませんが,むしろ適度に押さえたユーモア―父親の憎まれ口がじつにいいです―を交えながら,動揺しながらも気丈に振る舞う家族の姿を淡々と描き出しています。何があったのか,何が原因だったのか,いっさいが不明ながら,父親の「死」の記憶は,平凡で平和な日常を送りながらも,その奥底に「哀しみ」を抱え込んで生きざるをえない「哀しい人々」の姿を象徴しているように思います。

00/08/04

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