山岸凉子『神かくし』秋田文庫 1998年

 5編を集めた短編集です。

「神かくし」
 時は江戸,若くして藩の郡奉行に抜擢された藤堂主計には,12年前,神入山で“神かくし”で行方不明になった弟・京也がいた。そんな彼の前に瀬ノ尾千冬という,彼に殺気を向ける若者が現れ…
 「母親の狂信・執念に翻弄される子ども」という,この作者の作品に馴染み深いモチーフを用いながら,魅力的な物語を紡ぎだしています。いやぁ,おもしろかったです。なぜ千冬藤堂を殺そうとするのか? 千冬を操る母親の正体は? そして12年前に“神かくし”にあった弟京也との関係は? 自分が目を離したために行方知れずになった弟のことが忘れられない主人公の心理と,千冬とその母親をめぐる謎を絡めながら,物語はミステリアスに展開していきます。そして恐るべき母親の思惑が明らかにされるとき,因縁深い神入山でクライマックスを迎えます。
 この作者の作品では,ここで悲劇的な結末―母親の死,あるいは子どもの死―にいたる場合が多いのですが,この作品では,ラストは救いのあるものです。京也として藤堂家に引き取られた千冬,しかし彼は霧の朝,遠方に追いやられた母親を求めて旅立ちます。母親の狂気・執念が,その狂気・執念によって翻弄された子ども自身によって許され,癒されます。そして霧の中を去る千冬と入れ替わるようにして,主計の婚約者・雪乃が現れます。主計は彼女に言います。「わたしの弟は12年前に神隠しにあい,たぶん,もう会うことはないだろうと思います」。千冬が母親を許す行為は,主計の12年間の想いをも解放し,昇華させます。
 “許し”による狂気と執念からの解放―それは,この作者が長年描き続けてきたテーマの,ひとつの解答なのかも知れません。
「神入山[神かくしPart2]」
 かつて“神隠し”があったという神入山にピクニックに訪れた3人の若者が見たものは…
 神隠し,天狗といった古めかしい話が続いていき,最後にギョッとさせるオチ。前の「神かくし」と同じタイトルにしたのは,このオチで読者を驚かせようとする魂胆でしょうか? コントラストというか,アンバランスというか,そこらへんちょっと微妙です。
「負の暗示」
 昭和13年,一晩で30人ものを人々を惨殺した若者がいた…
 横溝正史の『八つ墓村』のモデルとなり,また近年では島田荘司の『龍臥亭事件』でも取り上げられている,日本犯罪史上有名な「津山30人殺し」を題材にした作品です。「極悪人でもない精神異常者でもないひとりの平凡な男」がなぜ史上類を見ない大量殺人を犯したのか? 作者は,主人公が凶悪な殺人にいたる経緯を,自己イメージと現実の自分との間の齟齬の蓄積,問題を先送りに先送りにして解決を避けてきた結果の矛盾の爆発,欺瞞と逃避の末の破局として描き出しています。
 たしかに主人公を取り巻く状況には,「夜這い」や「肺病」,「徴兵検査」といった時代に特徴的な要素はありますが,それは学校や仕事で受けるさまざまなストレスやプレッシャに置き換えることが可能なのかも知れません。それゆえ,ここで描き出された心性―「負のサイクル」―は,現代にも通じるものなのでしょう。そしてまた,「彼」と「わたしたち」の境界が,けっして断絶したものではなく,地続きのものであることをも意味しているのではないでしょうか?
「黄泉比良坂(よもつひらさか)」
 目をさました女の周囲は暗闇につつまれ,そして女に肉体はなかった…
 「黄泉比良坂(よもつひらさか)」とは「黄泉の国」と「この世」の間にあるという坂。その坂を登ることも降ることもできぬまま彷徨う女。ラストで,男の肩の上で足を組み,のけぞりながら嗤う女の姿がじつに怖いです。
「夜の虹」
 作者が体験した不思議な自然現象をつづったエッセイ・コミックです。怖い話ではありません。わたしも月の光で浮かび上がる白い夜の虹というのを,一度見てみたいです。神秘的でしょうね。

98/08/13

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