ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』26巻 小学館 2000年

 「おれはもう,寂しいやら,悲しいやら,悔しいやら・・・だけど嬉しいやらで・・・」(本書より 駿平のセリフ)

 物語を盛り上げるひとつの手法として,主人公の感情をひとつに集約していくというものがあります。喜びであれ,悲しみであれ,怒りであれ,憎しみであれ,主人公の感情をシンプルにしたり,あるいはシンプルになるようなシチュエーションをこしらえることで,それまでの物語の流れを一点に集約していく方法です。少年マンガでは,(連載打ち切りの場合はのぞいて)じつに頻繁に見られる,いわゆる「感動の最終回」というやつです。
 しかし,「親が死んでも,腹は空く」と言うように,日常生活においては,感情が単純化する局面はそう多くはありません。悲しいことがあれば,嬉しいこともある。いいこともあれば,悪いこともある。日常生活というのは,一見,単純で同じことの繰り返しのようであっても,じつはさまざまな側面が重層的に重なり合っています(だから逆に言えば,スポーツをしたり観戦したり,映画を見たり本を読んだりして,意図的に感情をシンプルにすることによって,そんな日常の重層性を,そしてその重層性が生み出す「うっとうしさ」を,一時,忘れるようにするのかもしれません)。

 さて「日常性」に深いこだわりを持って,本作品を描いてきた(と推測される)この作者は,幕引きにおいても,そのこだわりを持続させます。
 駿平が取り上げ,育てたヒコは,抽選でダービーに出場します。しかし,並みいる強豪の中で,大差をつけられてしんがりでゴールイン。落ち込む駿平に追い打ちをかけるように,義弟佑騎からは,「おれはおまえがやってきたことなんか,認めやしないからな」ときつい言葉が投げかけられます。一方,北海道に帰ってきた駿平は,ひびきが,無事,男の子を出産していることを知ります。そんな彼が,ひびきに対して語ったのが,冒頭に掲げたセリフです。
 つまり作者は,最終回において,駿平に対して,さまざまな感情―ヒコの敗北の哀しさ=自分の無力さの哀しさ,罵倒される悔しさ,息子の誕生の喜びなどなど―をいっぺんに投げ込みます。このような描き方は,たしかに,先に書いたように,物語の盛り上げ方としては,少年マンガでは,けして一般的なものではありません。しかし,この作品での作者の「日常性」へのこだわりの,必然的な落とし前のつけ方と言えるかもしれません。
 現在,少年マンガは,スポーツもの,格闘もの(あるいは勝負もの),そして異世界ファンタジィが席巻しているように思います。そこでは上に書いたような,感情の単純化によるドラマ作りが,それこそ雨後の筍のように見られます。ですからわたしは,安易な盛り上げを拒絶し,最後まで自分のポリシィを貫くことで,少年マンガとしては珍しい,より味わい深い最終回を描き出した作者に,拍手喝采を送りたいと思います(まぁ,もっとも,15年後,作家となったたづなに,「オチがつなかいのよ」と語らせているところも,作者の本音としてあるのかもしれませんが^^;;)。

 それにしても,駿平とひびきの息子の名前―「響平」というのは,十分想像がついておかしくない名前なのに,思いつけなかったのは,ちょっと悔しい(笑)。

00/11/23

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