倉多江美『一万十秒物語』上下 ちくま文庫 1997年

 タイトルは,稲垣足穂の掌編小説集『一千一秒物語』のパロディで,内容的にも,『一千一秒』と同様,1編数ページのショート・ストーリーが,上巻40編,下巻35編,おさめられています。皮肉あり,寓話あり,パロディあり,ナンセンスあり,ホラーあり,SFあり,ミステリあり,バカ話あり,笑い話あり,不気味な話あり,所属不明年齢不詳住所不定のような話あり,と,盛りだくさんの作品集です。店頭で見かけないようになって,ずいぶん久しくなりますが,このたび文庫版として復活しました。

 倉多江美の「絵」というのは,独特の雰囲気をもっています。けっして「うまい絵」というわけではありません。硬質で細い(細すぎるくらいの)タッチや,白と黒のコントラストがくっきりとしているところは,どこか銅版画を思わせます。人によっては「あ,だめ,こういうの!」という人も,きっとおられると思います。じつはわたしも最初はそうでした(笑)。けれど,ときおり「どきり」とするようなエロティシズムに充ちた女性が描かれたりします。また,漆黒のバックにぽっかり浮かぶ女性の(おそらく蒼白の)顔といった,不気味なシーンに出会います。そして作品の内容といえば,『エスの解放』のような,シリアスな哲学趣味に満ちた難解な作品もあるかと思えば,「ゴミドリ君」みたいな童話というか,ナンセンスのような作品もあり,ということで,読むたびに印象が変わる作家さんです。そういったところにも魅力を感じます。気に入ったいくつかの作品についてコメントします。

「ひとみ」
 戦争から帰ってきた“僕”は,盲目の父親と彼を助けるように歩く娘の姿に心がなごみ・・・。幸せそうに見えた親子の皮肉な真実。人は,他人の姿に自分の願望を仮託してしまうのでしょう。
「赤いリボン」
 イチゴにはえるカビから画期的な薬が抽出できると喜んだボクたちだが・・・。こんな「副作用」だったら,かわいくていいですね。無意味さが笑えます。
「釘」
 無趣味な父親は暇とあれば焚き火をしている。彼の本当の目的はじつは・・・。「蓼食う虫も好き好き」というお話。こういったお父さんって好きです。
「酒」
 酒飲みの父親が死んだ。その最後の言葉を聞いた“わたし”は・・・。いったい父親はなにを考えていたのでしょうか? しんみりとさせられる話です。
「愛のタペストリー」
 ふと彼女は考えた。「十数年の歳月は人を変えるものなのね」と・・・。いや別に深刻な話ではありません。初恋の人とか結婚相手が,十数年たってすっかり「おぢさん」になってしまったというだけの話。タイトルとの落差が笑えます。
「序曲(プレリュード)」
 アパートの隣室に引っ越してきた美人。夜,壁を叩くと,向こうからも叩く音が・・・。最後で笑ってしまいました。タイトルを見て,その皮肉さ加減にもう一笑い。
「体積」
 骨董屋で買った素朴な人形の置物。それは3つの願いをかなえてくれるという・・・。「愛なんてもともとエゴの変形なんですから」とつぶやく主人公。平穏な日常を支える「貪婪な言葉」と「卑しい欲望」。自分の幸福が他人の不幸の上になり立っているという真実。不気味な作品です。
「牡丹灯籠」
 小さい頃に遊んだやすこちゃんが死んだ。でもわたしはなにも感じず・・・。幼い頃に遊び,その後,縁遠くなってしまった友人というのは,不思議な存在です。その友人がほんとうにいたのか,それとも夢で見たのか,その区別さえもつかない。すごくリアルに感じられる作品でした。
「儀式」
 三十娘のたずこさんは,すべてを了解しているように,今日も目をさまします・・・。「日常」と「生活」と「習慣」と「儀式」。たずこさんの日々を,嗤うことも,哀れむことも,蔑むことも,けっしてできはしないのでしょう。
「夏の少女」
 夏休み前に真っ黒になろうと,海に行った美紀とみどり・・・。したたかでたくましい少女たち,勝手に勘違いして騙される大人。若い娘には注意しましょうという教訓話?(笑)
「ある哀の歌」
 高校生のかの子ちゃんには,すてきな恋人・ナカトくんがいて・・・。「少女マンガ」の辛辣なパロディ。前半のかの子ちゃんは,「プチット・マドレーヌのようにかわいい」女の子,後半は「ありふれた女の子」。ひたすら笑えます。
「琴ちゃんのお誕生日」
 琴ちゃんのお誕生日に,お母さんたちはケーキとローソクを用意してくれて・・・。幼い少女・琴ちゃんを主人公にした作品が4編ほどおさめられていますが,この作品が一番楽しめました。とくにラストの琴ちゃんの振る舞いは,なんとも無邪気でいいです。
「幽霊譚」
 その屋敷の主人が死ぬとき,白婦人の幽霊が出るという・・・。幸福なはずの恋人同士が,ふとした誤解からおぞましくも哀しい破局を迎えるお話。恋は人を,天使に変えるときもあれば,鬼にも変えるときもあるのでしょう。
「クリスマスカードを届けに来た郵便屋さん」
 「あらすじ」は書けません(笑)。安野光雅の絵本を思い浮かばせる,ほのぼのとした作品です。

97/12/16

go back to "Comic's Room"