高橋留美子『犬夜叉』28巻 小学館 2002年

 七人隊との死闘の果てに,ついに白霊山の中心部にたどり着いた犬夜叉一行。彼らがそこで見たものは,無数の妖怪をおのれの肉体に取り込み,変身を遂げた奈落の姿だった。宿敵に対して渾身の「風の傷」を放つ犬夜叉。だが奈落の変貌は,犬夜叉たちの想像を超えるものだった…

 さて「七人隊編」というか「白霊山編」のクライマクスです。七人隊を「時間稼ぎ」の盾代わりにして,ついにパワーアップを遂げた奈落。白霊山に集まった犬夜叉一行,鋼牙桔梗殺生丸ら。いよいよ最終決戦間近!といった感じですが,そのへんは次巻以後を楽しみにすることにして,この巻でわたしが注目したのは,次の2点です。

 ひとつは桔梗のキャラクタ設定。この間の中盤,奈落を守る白霊山が,聖人白心上人の死ぬ間際での「心の迷い」,そしてそれにつけ込んだ奈落の甘言によって産み出されたことが明らかにされます。そんな上人に対して桔梗は言います。
「この世に迷いなき者−一点の汚れもなき者などいるのでしょうか」
「迷うのが人間です。だからこそ崇高でありたいと望む−」
「命を惜しみ涙することは,恥ではありません」

 桔梗の言葉によって上人は成仏し,白霊山の結界は解かれていきます。この桔梗の「力」は,たしかに彼女の生まれ変わりであるかごめが持つ「浄化」の力と同じものとも言えましょう。しかし,かごめの「浄化」が,これまでどちらかというと,邪なる者を「祓う」形−それは彼女の放つ矢によって表現されています−で顕現しているのに対し,このシーンでの桔梗の「浄化」は,むしろ相手を包み込み,理解することによる,いわば「癒し」によるそれと言えましょう。それは,自分自身が死の間際に「迷い」が生じ,「死せる巫女」として,この世を彷徨わざるを得ないという立場ゆえの共感によるものかもしれませんが,明らかにかごめの「浄化」とは,ベクトルが異なります。もちろん桔梗も「祓う」力も持っており,ふたつの方向の「力」を併せもっているわけです。
 ならばかごめもまた,同じような方向の力も持っているのか? それともふたりの違いは「少女」と「女性」という「経験」の違いなのでしょうか? 犬夜叉に対する恋心を自覚することで,桔梗への複雑な想いを胸に秘めるかごめは,確実に少女から女性へと変貌しつつあります。それはまた,桔梗が今回見せた「癒しとしての浄化」という新しい「力」の獲得へとつながるのでしょうか?(おそらく,すでに犬夜叉の心を癒しているかごめは,十二分にその「素質」は持っているかと思います)。

 もうひとつは,もっぱら作画テクニックのお話。白霊山の中心部にたどり着いた弥勒珊瑚は,その奥底に奈落の姿を見出します。作者は,1ページ,ベタで埋め,その中に奈落の顔だけ浮かび上がらせるという手法で描いています。暗闇の中,顔だけ見える不気味さ,その周囲の闇に潜んでいるであろうおぞましい妖怪たちを想像させる,きわめてイラスト的な表現です。
 この手の手法は,古くは石ノ森章太郎松本零士などに見られた古典的な表現であるとはいえ,コメディにしろ,アクションにしろ,どちらかというと「動」の描き方を重視しているように思えるこの作者としてはかなり珍しいテクニックではないかと思います。
 個人的には,こういった手法はけっこう好きなので,驚きつつも,この作者,まだまだ魅せてくれます,と,素直に喜んでおります。

02/12/20

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