冬目景『羊のうた』5巻 ソニーマガジンズ 2000年

 ついに千砂の血を吸ってしまった一砂。「それでいいのよ」と言う千砂は,しかし,一砂からけっして血を吸おうとしない。そのため血への渇望が彼女の躰を苛む。一方,その呪われた「血」ゆえに,周囲を頑なに拒否する高城姉弟に対して,まわりの人々は・・・

 「他人の血を吸わないと生きていけない」という業病を抱える高城千砂・一砂姉弟の葛藤と哀しみを描いてきた本作品,本巻では彼らをめぐる人々の姿に焦点を当てているように思います。
 たとえば,一砂の養父母江田夫妻。高城家を訪れた江田夫人は,ふたりに言います。「二人共,私達の養子として迎えたいの」。姉弟,とくに一砂に対する愛情ゆえに発した言葉は,しかし,千砂によって冷たく拒絶されます。「生半可の希望や期待を煽るのは,無神経な事だとは思いませんか? 今さら家庭の団欒なんて,わたしには邪魔なだけです」と。その一方で彼女は,江田夫人が帰ったのちに一砂に言います。「あの人達なら・・・・あなたが発病してるとわかっても受け入れてくれるわ」
 また一砂に想いを寄せる同級生八重樫葉は,千砂の主治医水無瀬から,姉弟の住所を聞き出し,遠くから見るだけでいい,と思いつつ,偶然,一砂と再会してしまいます。「だけど・・・わたし・・・忘れるなんてできないよ。傷つけられてもいいから一緒にいたい。こんな毎日が一生続くよりずっといいよ」と告げる葉。一砂は「俺は忘れたいんだ。もう姿を見せないでくれ」と答えます。この言葉,ひとり葉に対する拒絶だけではなく,「平凡で平和な高校生活」への別れという意味も含んでいるのでしょう。好きな人の力になれない自分の無力さに,葉は声を出さずに泣き叫びます。
 そして水無瀬。幼い頃から千砂を見守り続けた彼は,血の渇望に耐えかね倒れた千砂を,一砂から引き離し,かつて彼女の父親が経営していた医院に軟禁します。自分が彼女の救いにも癒しにもなれないことに対する絶望が,彼をそうさせます。「誰かのものであって欲しくなかった」と思い,「最初から手の届かない彼女だから・・・だからこそ僕は・・・」とも思います。その穏やかな表情の奥に隠されていた,諦念と背中合わせになった愛情が淡々と描き出されていきます。

 ずいぶん前に読んだ,故三原順「はみだっし子シリーズ」の中の1編「カッコーの鳴く森」には,自閉症の少女マーシア(クークー)が登場します。かつて自分も自閉症であったサーニンは彼女に手を差し伸べますが,彼女の保護者である神父は,サーニンが彼女に近づくことを禁止します。そんな神父に対してサーニンの友人アンジーは言います。「どうせあんたは,マーシアのためにその娘がおちこんでる所までおちてってやる気もないくせに」と。
 たしかに,利己的で中途半端な同情や援助は,ときとして相手をより深く傷つけることがあるでしょう。本作品に出てくる江田夫妻八重樫葉,そして水無瀬らが差し伸べる手は,果たして,そんな「同情」なのでしょうか? 高城姉弟が「おちこんでいる所」まで「おちってやる気もない」ものなのでしょうか? そして彼らの「手」を頑ななまでに拒絶するふたりに救いはあるのでしょうか?
 自分に対して好意をもってくれる人,あるいは自分が好意をもっている人を,ときに拒絶しなければならない哀しいときがあります。その拒絶は,悪意ゆえにではなく好意に基づくために,より一層せつないものがあります。

 ところで,本巻のカヴァ表紙,智内兄助の絵を連想させますね(智内兄助の絵は,学研M文庫・皆川博子『巫女』のカヴァに使われています)。

01/01/10

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