わかつきめぐみ『ご近所の博物誌』白泉社 1993年

 平凡な田舎の村に都からやってきた博物学者・二羽(にう)。彼女のもとで助手として手伝うことになった少年・三稜(みくり)。どこかピントのずれた彼女の言動に,最初はいらだつ三稜だったが,彼女の仕事を手伝ううちに,少しずつ少年の心は動かされ・・・

 現在,細かく分かれている学問分野,たとえば地質学や生物学,天文学や考古学,人類学などは,かつて「博物学」と呼ばれる学問だったといいます。「博物学」とはなにか,ということは,おそらくきちんとした学問的定義があるのかもしれませんが,わたしは,「世界をまるごと理解しようとする好奇心」なのではないかと思っています。わたしたちを取り巻く「世界」が,どういうものから成り立ち,どういう風に形作られてきたのか,そんな根元的ともいえるような好奇心,それが「博物学」なのだと思います(それが人ひとりの手にあまるようになったので,学問はどんどん細分化されていったんでしょうね)。

 本作品の中で,主人公二羽は,植物を中心に研究する博物学者ですが,それだけでなく,風笛の正体を探ろうと冬の寒い中を走り回りますし,傷ついた渡り鳥を癒したりしますし,さまざまな「言い伝え」にも関心を寄せます。彼女は言います。
「この地面の上を総て見てまわったわけじゃないし,見た所にしたって,その地面の下深くどんなものがあるかなんて知らないのよ。ましてや,あそこなんて――」
と,星空を指さします。そして,
「生きているうちには見ることもできないなあって――思うのよね」
と。三稜はそれに答えて,
「――世界って,広いんですね――」
 また,三稜の「この花,数が少なくなってきているんですか?」という問いに,彼女はこう答えます。
「心配するより,よく知ることが先よ」
「大事にしたいなら,知らなきゃだわ」

 そして三稜は思うのです。
「世界の秘密の扉を開けてみたい」

 「世界を理解する」などというと,どこか醒めていて,クールな感じがしますが(もちろん,それはそれで必要なスタンスなのでしょうが),それはけっして「世界を愛する」ということと矛盾するものではないのでしょう。たとえば盲目的な溺愛が,愛される側にとって,必ずしも快いものとは限らないように,自然や世界を愛することがスタート地点であったとしても,その愛する対象のことをきちんと理解することが,愛し続けるためには不可欠なのでしょう。
 そんな風に考えると,(「勉強」ではなく)「学問」と呼ばれるものにも,親近感が湧きますね。

 まぁ,なんかしちめんどくさいことを書いてしまいましたが,作品は,この作者独特のシンプルな描線がなんとも似合う,ほんわかコメディです。とくに二羽のような,常識からちょっとずれた感覚のキャラクタは,お得意のものといえましょう。三稜のいたずらで「貧乏蔓」で覆われた家で,窓を閉めることができないので雨の日にはテントを張って,嬉々として住みつづけるあたり,なんとも愛すべきキャラであります。
 それと味わいがあるのが,「貧乏蔓」「夏怪談」「月光茸」「秋雁鳥」「葉喰蛾」「一客一亭」「夜咲花」などといった,漢字の持つ豊かな映像的イメージと,その「音」を巧みに混ぜ合わせているような,各エピソードのタイトルですね。
 内容的には,二羽たちの住む村の,大晦日の風習を描いた「大晦日」が,わたしは好きです。二羽のセリフ,
「・・・いいな― 私の生まれた所にもこんな行事があったらよかったのにな― 私 絶対やりたかったわ」
には,「うん,うん」と思わず肯いてしまいました(笑)。

98/03/19

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