細野不二彦『ギャラリーフェイク』15巻 小学館 1999年

 9編をおさめています。なんか今回はいろいろと考えさせられるエピソードが多かったです。

「人魚姫の海」
 1964年に破壊され行方不明になった,デンマークの人魚姫ブロンズ像の頭部。それを追う刑事はフジタに接触し・・・
 まぁ,たしかにアンデルセン「人魚姫」の舞台は地中海だったかもしれないですが,だからといって,そのブロンズ像を不法に地中海沿岸に飾ることは,また別のことじゃないんでしょうかねぇ(その主張が正当なものならば,堂々と飾ればいいじゃないですか。要するに金持ちの道楽でしょ?)。それに製作者であるエドワード・エリクセンの意志が無視されてるようにも思います。
「戦場に消ゆ」
 ヴェトナムを訪れたフジタとサラ。彼らはそこでヴェトナム戦争中に死んだとされた伝説の戦場カメラマンに出会う・・・
 実在した戦場カメラマン沢田教一あたりがモデルでしょうか? フジタの詭弁をサラが救っているように思います。
「王様と乞食」
 ホームレスと行動をともにするフジタ。彼の目当ては“金唐紙”だった・・・
 この作品で取り上げられている平賀源内という人物は,天才なのか,器用貧乏なのか,単なる山師なのか,やっぱり興味深いですね。「口八丁,手八丁,つまみ食いのうまい小器用な男。あんまり好きなタイプじゃありませんな」と,源内を評するフジタに対して,「ご自分に似てらっしゃるから?」と突っ込む三田村館長,ナイスですね(笑)。
「仮面を彫りおこす者」
 アフリカの小村を訪れたフジタ。彼がガイドとして連れてきた男は,仮面師の元弟子だった・・・
 仮面に限らず,すぐれた宗教的造形物を見るとき,いつも思うのですが,それを造った人物というのは,たとえば「悪魔の仮面」を作ったのではなく,「悪魔」そのものを作ったのではないでしょうか? ですから,そこに「美」とか「芸術」とかを「感じる」というのは,ていのいい「レッテル貼り」でしかないのではないか? と・・・
「三つの鞄」
 借金で首が回らなくなった鞄屋に依頼されたのは,贋作作りだった・・・
 このシリーズでしばしば取り上げられる「贋作ネタ」ではありませんが,なぜかSMが絡んできて,よくわかりません。同じ「革製品」と馴染むからでしょうか?(笑)
「半分と半分(ハーフ・アンド・ハーフ)」
 贋作を納入したとして訴えられそうになったフジタに課せられた要求とは・・・
 久々に三田村館長とフジタが,がっぷりと四つに組むエピソード。さながらミステリ小説のように,バラバラのピースが結びついて1枚の絵画が復元されるところがおもしろいですね。ミステリアスな三田村館長の過去がちょっとだけ触れられているところも魅力的です。本巻で一番楽しめました。
「紙は応えてくれる。」
 人間国宝の紙漉師・浅野善兵衛から,偽の「越前和紙」の出所を探すよう依頼されたフジタは・・・
 和紙が好きです。とくに深い紺色に染め上げられた和紙が好きです(和綴じ本の表紙のイメージですね(^^ゞ)。ですから,もしこのエピソードのような形で伝統が受け継がれるとしたら楽しいです。でもきっと,「日本の伝統は日本人じゃなきゃダメだ」などと言い出すバ○がいるんでしょうね,自分じゃやらないくせに・・・
「皇帝と貧者のための卵」
 モスクワの不動産王から,ロマノフ家の“イースター・エッグ”を競り落とすように依頼されたフジタは・・・
 こんなことを言ってしまったら身も蓋もないのですが,たかが“イースター・エッグ”でねぇ・・・といった感じですね(笑)。それにしても,怒ったフェイツェイって怖いですね^^;;
「加州昭和村」
 市場から生活骨董が姿を消した。その背後にはシンタニソフトの会長の影が・・・
 ハイテク業界の寵児とまで言われた人物が,「グローバルな地球市民だの・・・ネット社会のコミュニケーションだの・・・しょせんはテクノロジーの生んだうすっぺらの幻想さ。」とつぶやき,彼の原風景である昭和30年代の街を復元するという話ですが,う〜む,なんだかなぁ・・・。別にネット社会を擁護するつもりはありませんが,「まだないもの」と「すでにあるもの」とを比較するのって,まったく意味ありませんものね。それに,この話で「テクノロジー社会」に対置される昭和30年代にしたって,明治生まれの人から見たら「テクノロジー」に満ちあふれた世界なわけですし・・・

99/02/04

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