森薫『エマ』2巻 エンターブレイン 2003年

 「料理人といえど味で貴族様を感動させる事が出来たその一瞬はね,対等になれるのよ。そういうものじゃない? ねえ」(本書より)

 夜のクリスタル・パレスで互いの好意を確かめ合ったエマとウィリアム。しかしふたりの間には厚い「階級の壁」が立ちふさがる。そしてエマの主人ケリーの急逝。エマは,生まれ故郷の海辺の街へと戻るため,ロンドンを離れる。時代と運命が,ふたりの恋の行方を翻弄する…

 マンガというのは,基本的には「記号的表現」です。それゆえに,マンガにおける「絵のうまさ」とは,リアリズムとはイコールではありません(もちろんリアリズムも「うまさ」の一部ではありますが)。キャラクタの性格や心象風景,あるいはシチュエーションの持つ意味を,その「記号的表現」で,どのように的確に読者に伝えるか,も,マンガにおける「絵のうまさ」の重要な指標になるのではないかと思います。
 そういう意味での,この作者の「絵のうまさ」を改めて感じたのが,本巻「第十話 ひとり」です。一心不乱に台所を掃除するエマ,その姿は,それまでの経緯から,ウィリアムとの恋の行方がはっきりしない不安を表しているのかと思いましたが,その直後,胸の前で腕を組み,ドアの寄りかかって,主のいないベッドを眺める彼女の姿が描かれます。
 このシーンに,わたしは違和感を感じました。彼女のとったポーズが「エマらしくない」のです。寡黙で誠実,つねに控えめな彼女にしては,どこか投げ遣りな「らしくない」ポーズに見えました。しかしこのことは,そのすぐあとでの,アルとの会話で,ケリーの死が語られることにより,氷解します。投げ遣りに見える態度も,台所を洗う姿も,ケリーの突然の死にショックを受け,そこからようやく立ち直ろうとしている,しかしそれでも疲労と虚しさを拭うことのできないエマを,見事なまでに描き出していたわけです。

 さてエマとウィリアム。ケリーの急逝,ウィリアムの家族の反対など,ふたりの恋の行方には暗雲が漂っていますが,その一方,かすかながら「光」も差しています。そのひとつが,冒頭に引用した料理人のセリフ。名前さえ出てこない脇キャラのセリフではありますが,時代が確実に変わりはじめつつあることを示唆しています。
 そして本巻では,ハキムの存在も光っています。みずから「内面化」された階級意識に悩み,ウィリアムとの恋をあきらめようとするエマに,「全然良くないぞ」とストレートに指摘します。これまで「トリックスター」的な役回りでしたが,ここに来て,イギリス階級社会の「外側」にいる人物としての立場が効いてきています。上に書いたような,階級社会の「内側」からの変革とともに,ハキムのような「外側」からの揺さぶりもまた時代の変化を促していくのでしょう(もっとも彼自身もインド階級社会の上位にいるわけではありますが)。

 ところでまた「描き方」のことになっちゃいますが^^;;,この「階級の違い」の描き方もじつに巧いですね。たとえば最初のクリスタル・パレスのシーン。「入場料はたったの1シリング」と言うウィリアムに対して,どこかとまどったような表情を浮かべるエマ。そののち彼女が,故郷に帰る汽車で,5〜6シリング高い一等車に乗ることをためらっているのとコントラストをなしています。また同じくクリスタル・パレスで,「ビザンチンとロマネスク,どっちに行きます? どっちが好きですか?」と問うウィリアムに,「あまりよくわからない」と答えるエマの姿にも,ふたりの間の「階級の壁」を端的に示していると言えましょう。こういったトリヴィアルな描写の積み重ねもまた,この作品の魅力のひとつなのだと思います。

03/03/11

go back to "Comic's Room"