永井豪『ダンテ神曲』上下巻 講談社漫画文庫 1998年

 政争によりフィレンツェを追放されたダンテは,暗い森の中で,古代ローマの詩人ヴィルギリウスの魂に出会う。そしてかつての恋人で,いまや天上界に住むベアトリーチェの命にしたがい,ヴィリギリウスの導きにより,地獄界,煉獄界,天国へと,壮大な旅をはじめる・・・。

 以前,勤めていた職場に,アルカリ・イオンなんちゃらという浄水器のセールスマンがデモンストレーションに来たことがあります。彼は,わたしたちにリトマス紙のようなものを舐めさせ,色が変わったのを指し示しながら,「みなさんの身体は酸性になっています」と言いました。そして,身体が酸性だと,どういう変調をきたすか,とか,どういう病気にかかりやすいか,とか,をとうとうと語りました。そして,それが一段落すると,みずから商う浄水器を使えば,身体がアルカリ性になり,いま話したような病気を避けることができる,と話を締めくくりました。

 わたしはそれを聞きながら思ったのは,こういう健康器具のデモンストレーションというのは,新興宗教の勧誘とよく似ているなぁ,ということです。新興宗教では,いまあなたが苦しんでいるのはこういうことをしないからです,このままの状態ではあなたは救われません,というようなことを,入会しようかどうか迷っている人に,懇々と説くのだそうです。いまの自分の状況を,とにかく悪い状態であると決めつけ,このままだとますます悪くなる,と。それは,ある意味で,形を変えた「恐喝」に近いものです。
 人間,そんな風に否定的な言われ方をしたら,どうしても「じゃぁ,どうすれば良くなるのか」を知りたくなるものです。その問いに答えて,セールスマンは浄水器を売り,新興宗教家は教義を売るのです。

 なんでこんなことを書くかというと,このエピソードは,わたしが以前から不思議に思っていたことを,全部というわけではありませんが,ある程度,解いてくれたからです。それは,
「洋の東西を問わず,『天国』や『極楽』を描いた小説や絵画が,ワンパターンで,生彩に乏しいのに対し,『地獄』を描いた作品が,ヴァラエティに富み,地獄の有様を,これでもかというくらいに微に入り細に入り描いているのは,なぜなのか?」
ということです。結局,人は,「こういうことすると,こういういい目に遭いますよ。だからこうしましょう」というような教えよりも,「こういうことすると,こんなひどい目に遭いますよ。だからやめましょう」という教えの方が,納得しやすい,という心性を持っているようです。それは,きっと「法律」にも通ずる思考方法なのでしょう。

 ぜんぜん本作品の感想になってませんが,上下巻750ページのうち,約500ページが「地獄編」に費やされているのを見て(「天国編」なんてわずか70ページですよ,10分の1以下!),ふと,以上のようなことを考えました。原作での割合はどうなんだろう?(うう,原作,「地獄編」の途中で挫折した苦い記憶が,甦る・・・)

 ところで永井豪も「あとがき」で書いてますが,キリスト教徒じゃないからといってあんな目に遭わされたらたまらんなぁ・・・。

98/06/22

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