高橋葉介『クレイジーピエロ』朝日ソノラマ 1999年

 舞台は,ナチスを思わせる「帝国」によって占領された小さな村。占領軍の兵士が残虐な方法で殺された。人々の間で囁かれる“クレイジーピエロ”の噂。ピエロの格好をして,神出鬼没,悪魔のごとき長刀で兵士たちを殺戮していく“クレイジーピエロ”。彼の正体はいったい?

 「ヒーロー」といえば,弱きを助け強きをくじく,正義の味方であることが定番です。それに対して,「ダークヒーロー」「悪のヒーロー」という言葉もあります。「正義」を,単なる社会の「約束事」と嘲笑い,悪は悪なりの信念と矜持にしたがって行動するキャラクタである場合が多いでしょう(小説で言えば,大藪春彦が創造した伊達邦彦あたりが代表的なものかもしれません)。
 この作品の主人公“クレイジーピエロ”は,ある意味で,そんな「ダークヒーロー」と呼んでもいいのかもしれませんが,その一方で,その「枠」にも当てはまらない,独特のキャラクタのようにも思えます。彼は言います。

「おれはクレイジーだからな。そんな道理はわかりゃしないのさ。おれはただ目の前の敵を殺すだけだ。殺して殺して殺しまくるのさ。かたっぱしから地獄にたたっこんでやるのさ」

 「ヒーロー」と「ダークヒーロー」とが,正反対とはいえ,「正義」と「悪」という「倫理」から逃れられないのに対し(両者はいわば「合わせ鏡」のような存在です),この“クレイジーピエロ”は,むしろそんな「倫理」を超えた「善悪の彼岸」に身を置くキャラクタなのでしょう。
 「帝国」支配下にある時代では,ピエロの行動は,残酷な征服軍を殺しまくり,人々を救う「レジスタンス」といった性格を持ちます。しかし戦争が終わり,平和がもどってからは,彼はどうなるのか? それは明示されることはなく,シリーズ最終作「クレイジーピエロの伝説」のエンディングでつぎのように語られます。

「さあ,これからクレイジーピエロの伝説が始まるのだ。平和な街を襲う魔の影,地獄からの死者。破壊と殺りくの神,人の容姿(かたち)をした災厄の伝説が・・・」

 クレイジーピエロ――正義でもなく悪でもなく,戦争時にはレジスタンスの「ヒーロー」でありながら,平和時では,人々を悪夢へと陥れる「破壊と殺りくの神」。こんなキャラクタを「少年マンガ」に導入したこの作家さんは,やはりすごいものだと思います(おそらく,メジャァ誌ではぜったい使わせてもらえないでしょうが・・・)。

 この巻には,このほか「義眼物語」「顔がない」の2編が収録されています。どちらも初期の「筆線」が色濃く残っています。
 「義眼物語」は,タイトル通り,「義眼」をめぐる綺譚です。もの悲しくも,どこかハートウォームなエンディングがしみじみとさせます。「顔がない」は,この作者お得意の「顔ネタ」です。ホント,この作者,「顔」を題材にした「奇妙な話」が好きですねぇ。ラストは思わず苦笑させられます。

99/08/17

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