山岸凉子『ブルー・ロージス』文春文庫 1999年

 6編をおさめた短編集です。

「パエトーン」
 制御できない“日輪の馬車”から墜ちて死んだパエトーン。それは,核エネルギィを扱うわたしたちの姿ではないだろうか…
 以前なにかで読んだのですが,かつて「道具を使う能力」は「人間」の定義でしたが,研究が進むにつれ,人間以外の動物でも道具の使用が認められるようになると,今度は,ナイフや「火」といった「自分を傷つける危険性のある道具をコントロールする能力」という風に変わっていったそうです。この定義で重要なのは,「危険性のある道具」を単に「使う」のではなく,「コントロール」する点にあると思います。しかし人が「ミスする動物」である以上,「完璧なコントロール」はありえません。つねに道具はコントロールから逸脱する危険性を秘めています。その逸脱による危険性は,ナイフで指を切るという小さなものから,大火といった大きな災害までさまざまです。
 そんな目で原発(核エネルギィ)という「道具」を見たとき,もしそれが人間のコントロールを逸脱したときの被害は,大火など比較にならぬほど甚大なものになるでしょう。またその被害は,わたしたちの世代だけで留まらない危険性もあります。道具のもたらす利便性と,その逸脱による危険性―そのバランスを取ることで,人は進歩してきました。しかしそのバランスが崩れるとき,人はみずから作り出した道具のために滅びるのかもしれません。東海村の臨界事故直後の出版だけに,この作品のメッセージはより重く感じられます。
「星の素白き花束の…」
 少女趣味のイラストレータ聡子が引き取った異母妹の夏夜。彼女はイラストから抜け出たような美少女だった…
 主人公の聡子は,身長170pでショート・カット,30歳を越えた独身女性です。世間的な意味で「女性らしくない女性」です。彼女の描く少女趣味のイラストは,彼女にとって「自分にないもの」の投影ともいえます。ですから夏夜は,聡子にとって「自分にないもの」をすべて持っている存在です。姿形だけならば,夏夜は聡子にとって理想なのでしょう。しかし,夏夜は,それらとともに,もうひとつ,聡子の持たないものをも持っています。それは「セックス」です。人は自分に持ってないものを持っている人に憧れます。しかしときとして,そんな人の存在によって,自分が持ってないことを深く思い知らされることがあります。たしかに夏夜は,聡子の言うように「俗っぽく」「甘く劣悪」なのかもしれません。しかし自分の持ってないものを持っているからといって,対象を(自分勝手に)理想化する聡子の側にも罪はないのでしょうか? ラストで,聡子はボーイッシュな女性ばかり描くようになったとありますが,同じことがまた繰り返される可能性はないのでしょうか?
「化野の…」
 いつもの帰り道。ところが歩いても歩いても家にたどり着けない。そして傍らには見知らぬ人が…
 死を自覚していない死者の話です。途中で出会った老婆が,「上にのぼって」と言う「真っ赤に焼けているストーブ」とは,生者が死者へと移行するための儀式なのかもしれません。それを経ない者は,生でもなく,死でもない,中途半端な「帰り道」をただただ歩き続けるだけなのかもしれません。
「ブルー・ロージス」
 29歳のイラストレータ黎子の描く男性はいつも植物的。そんな彼女は,知り合った編集者・中嶋と恋に落ち…
 この作品で出てくる「一角獣」は,見た目には,そびえ立つ角を持つ美しい動物なのでしょう。しかし,その角によって近寄る他者を傷つけ,遠ざけてしまいます。それはまた,自分の方から他者に近づくことに怯える孤独な魂を守るための防具なのかもしれません。みずからの非力さ,自信のなさの裏返しとしての一角獣の「角」―そんな哀しき一角獣の姿は,主人公黎子にオーヴァ・ラップします。角を失うことは,自分のアイデンティティの放棄ともとれないこともありませんが,逆に,他の人と変わらない,生身の自分に向き合うということをも意味しているのでしょう。自己憐憫に陥ることもなく,不実な相手を憎む泥沼にはまり込むこともない黎子の姿を描いたエンディングは,爽やかで力強いものを感じます。
「銀壺・金鎖」
 一組の男女が招いた家庭の悲劇。いま,その息子娘たちが一堂に会し…
 「情熱的な愛」「形振り構わない恋」―しばしばそれは憧憬の対象となり,ときに高貴なものとして描かれます。しかしその一方で,そんな愛や恋により傷つき,崩れていくものがあります。ですからそれらは,「不倫」「不道徳」というレッテルを貼られ,非難の対象にもなります。この作品では,一組の男女が「壊した」家庭の子どもたちの「回想」として,その恋愛を描き出しています。淡々としていながら,ときに冷徹とも言える視線で描き出された「恋」は,美しくもあり,醜くもあり,滑稽でもあり,愚かでもあります。しかし「恋」とは,元来そんなものなのかもしれません。
「学園のムフフフ」
 秀才のクラス委員平岡伸江は,クラス一番の美女・南妙子と友人となるが,妙子はどこかピントがずれていて…
 これまたじつに古い作品。初出が1974年とくれば,なんと四半世紀前。タッチがぜんぜん違います。一種の学園ものなのでしょうが,この作者の手にかかるとひと味もふた味も違ってきます。でも,正直,ピンと来ませんねぇ…^^;; きっと少女たちは,男どもの勝手な幻想を振り切って,自由に生きているのでしょう。

99/11/29

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