谷口ジロー『ブランカ』全2巻 小学館文庫 1999年

 厳冬,凍りついたベーリング海峡を,東に向かう一匹の白い犬がいた。彼の名は“ブランカ”。R(エール)共和国が極秘に開発したスーパー・ドッグ。いま,帰巣本能に従ってひた走る彼と,彼を抹殺せんと立ちふさがる敵との壮絶な闘いがはじまる。白い荒野を血で真っ赤に染め上げて・・・

 この作者は,『犬を飼う』(小学館)という傑作があることからもわかりますように,犬に対して深い思い入れがあるようです。しかしそれは,しばしば見られるような,犬を擬人化して愛でるような類のものではなく,「犬としての犬」に対する愛情によるもののように思います。
 本編の主人公“ブランカ”は,遺伝子操作によって生み出されたスーパー・ドッグではありますが,彼の能力は,けして破天荒なものではなく,普通の犬が持つ潜在能力の延長型として設定されています。ですから,たとえば,R共和国が放った戦闘犬とのバトル・シーンも,壮絶とはいえ,あくまで犬同士の闘い―走り,鋭い牙を相手の首筋につきたてるといった―として描かれています。
 それとともに,作者は,“ブランカ”を単なる「戦闘マシーン」としてではなく,人とコミュニケーションを持つ感情豊かな動物としても描いてみせます。敵に対して攻撃を仕掛けるときの獰猛な顔つきを迫力をもって描くとともに,たとえば,かつてのトレーナモーリ・ワーレン中尉が敵に回ったことを知ったときに見せる哀しげな瞳,あるいはラスト・シーンで,飼い主パトリシアに走り寄るときのせつない顔つきを丁寧に描き出していきます。
 これらの描写は,もちろん,この作者の卓抜した画力によって支えられているのでしょうが,それとともに,上に書いたような「犬としての犬」に対する深い愛情に裏打ちされているのではないかと思います。

 さて物語は,東へ向かう“ブランカ”と,彼を抹殺しようとするR共和国の刺客たちとの闘いを軸に進行していきます。そして,なぜブランカは東へ向かうのか,なぜ彼は抹殺されなければならないのか,というミステリが,ストーリィを引っぱっていきます。さらに“ブランカ”と遭遇し,彼の底知れぬ「力」に魅了されていく人々―密猟者のシバ・ヤック・ニック,動物学者のヘレンなどなど―を配することで,物語にふくらみと奥行きを与えています。とくに,後半になって語られるブランカとパトリシアとの関係は,相次ぐ非情な闘いに彩られた展開に,まったく異なる色合いを施し,この作品が,犬と人との闘いの物語であるだけでなく,犬と人との愛情の物語でもあることを明らかにしてくれます。

 「作者あとがき」によれば,この作品を「前章」とする,『神の犬』という作品もある様子。“ブランカ”が野生の狼の中に残した子どもたちが主人公になるのでしょうかね?

99/10/02

go back to "Comic's Room"