清水玲子『22XX』白泉社文庫 2001年

 この作家さんの作品については,『竜の眠る星』『月の子』など,何人かの方からご推薦をいただいていたのですが,いずれも大長編らしく,ちょっと手を出しかねていました。で,今回書店でこの短編集を見つけ,チャレンジしてみました。5編の中短編を収録しています。

 表題作の「22XX」は,誘拐された王女を救うため,密林へ分け入ったヒト型ロボット・ジャックは,ルビィという不思議な少女に出会う,彼女は生殖のために人肉を食べるフォトゥリス人だった…というお話。
 故半村良の代表作『妖星伝』に登場する宇宙人は,地球を「他の生命を喰らいあって生きている地獄の星」と呼びました。この文句を呼んだとき,「ガツン」と頭をたたかれたようなショックを受けましたが,たしかに,わたしたちも含め,この地球上の生命は,他の生命の「死」の上に成り立っていることは,まごうことのない事実でしょう。それがわたしたちの「生」の有り様の真実なのでしょう。
 しかしショックを受けたことの理由のもうひとつは,その真実がわたしたちの目から,ほとんど隠されていたことにもあります。かつて人類が狩猟生活を送っていた時代,いやさもっと時代が降って,自分の食料=家畜を自分で飼育し,殺して食べていた時代,人々はもっとこの真実を「あたりまえ」のこととして自覚していたのではないでしょうか? 商業経済の発達は,わたしたちの日々の食事が,他の生命の「死」を前提としているという真実を覆い隠しました。現在にいたっては,動物や魚たちの「原型」さえも姿を消し,パックに入った「食材」としてのみ提供されています。それゆえにわたしたちは,みずからの生の根元である他の動植物たちに対する敬意を失っているのかもしれません。
 本編には,愛する異性を食べる種族フォトゥリス人が登場します。彼らにとって「食べる」という行為はきわめて神聖なものです。なぜなら彼らは,愛する者を食べるがゆえに,相手の死が自分の生の根元であることを直視せざるを得ないからです。生と死の宿命的な表裏一体性を,彼らは「愛する相手を食べる」という行為を通じて,自覚しているからです。その自覚は,上に書いたように,わたしたちが失ってしまったものに違いありません。
 そのうえで,この作品でユニークな点は,そこに「食欲を感じるロボット」であるジャックを登場させ,ルビィとのコントラストを鮮やかに浮かび上がらせたことだと思います。ジャックにとっての「食事」は,彼にとってまったく意味がありません。人間の「人間に近いロボットを作る」という勝手な欲望により植え付けられた「疑似本能」です。そのためジャックは,戦友を見殺しにしてしまうという辛い過去を背負います。個体維持・種族維持という目的から逸脱したものとしての「食欲」…本編でロボットという形でカリカチュアライズされた彼の姿は,おそらくわたしたち自身の姿とも言えましょう。生命を保つための欲求としての「食欲」が,快楽を追求するための「欲望」へと転化してしまった,わたしたちの姿なのでしょう。
 SFとは,デフォルメされた形で,わたしたちの「姿」を映し出す鏡なのだと,改めて気づかせてくれた作品です。

 このほか本巻には,「世紀末に愛されて」「夢のつづき」「8月の長い夜」「ロボット考<擬態>」の4編が収録されています。「ロボット考」は,4ページのショート・ストーリィというか,「お遊びマンガ」というか,とりあえず置いておくとして,他の3編は,やはり「22XX」を読んだ直後に読むと,ちと物足りない感じがします。発表が「22XX」よりも5年くらい先行しているせいもあるのかもしれません。ページ数にあわせたストーリィ展開が,いまひとつこなれていない感じがありますね。

02/05/18

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