浦沢直樹『20世紀少年』9巻 小学館 2002年

 「しょせんは世の中は金だが,それがすべてじゃない…本気で勝負すると…何かが決壊するんだ」(本書より)

 ヴァーチャル・アトラクションの中で,“ともだち”の素顔を見てしまったコイズミ。彼女の見た「恐ろしいもの」とは何なのか? 一方,「ローマ法王暗殺計画」を知ったカンナは,それを阻止すべく,ついに動き始める。ケンヂおじちゃんの残した言葉を胸に秘め…だが“ともだち”の魔手が彼女に迫る! そして「しんよげんの書」に隠された真実とは?

 本巻冒頭,最初の2話は,前巻から続くエピソードです。“ともだちランド”“ヴァーチャル・アトラクション”に入り込んだコイズミは,そこで“ともだち”の素顔を追い求めます。しかしそれがきわめて危険であることに気づいたヨシツネは,なんとかそれを留めようとします。果たしてヨシツネは間に合うのか? コイズミは“ともだち”の素顔を見てしまうのか? このあたり,この作者お得意の,おもいっきり「引き」を残した展開で,さすがにちょっと「くどい」かな?などと思ってしまいますが,まぁ,この作者の持ち味とも言えましょう。

 しかしこの巻での「真骨頂」は,第3話以降,カンナを中心とした展開でしょう。“ともだち”へ反撃を開始しようとするカンナ。彼女は「金」と「人」を求めて,カジノへ乗り込みます。そして「ドカーン」と稼ぐために,ラビット・ナボコフなる,むちゃくちゃハイリスク・ハイリターンのカード・ゲームに参加,店を潰しそうになるほどの大勝負に出るが…という展開。このあたりの緊迫感は,たまりません。とくに勝負の分かれ目になるカードを開こうとするときの彼女の目つき,顔つき。効果的なコマ割りとともに,ぐいぐいとスリルを盛り上げています。やっぱり,こういったシーンを描くと巧いですよね,この作者。
 さらに新宿のキリスト教会で,中国マフィア,タイマフィア,ホームレスなどなど,一癖二癖どころか,三癖も四癖もありそうな連中を向こうに回しての大演説。「あたしと組むってことは…死ぬ場合もあるってことよ」って,あぁた(笑),10歳代の少女のセリフじゃございません。でもそれが,しっくりと「はまっている」ところがすごいですよね。カジノで知り合った,任侠映画にしか出てきそうにない着流しのヤクザ(?)のおじさんが言うように,カンナには超能力ではなく,それ以上の「力」が宿っているようです。そしてそれは,ケンヂが持ち得ず,“ともだち”に対抗できなかった「力」−“カリスマ性”なのではないでしょうか? ケンヂの熱き心とカンナのカリスマ性が結びつくとき,ようやく「正義の味方」がその姿を現すのかもしれません。

 そして本巻では,もうひとつ新しい「謎」が提示されます。「しんよげんの書」です。ケンヂの書いた(そして“ともだち”が実現化させてしまった)「よげんの書」の「つづき」となっています。
 しかし,と,わたしは思うのです。
 「しんよげんの書」に書かれていた救世主暗殺の予言。それをカンナの死と思ったユキジは,カンナのいる教会へと走ります。けれども,そこで殺されるのは,カンナに銃口を向けた暗殺者「ホクロの巡査」です。そして巡査を射殺したのは,やはり“ともだち”一派の3号。これはいったい何を意味するのでしょうか?
 巡査が「救世主」だとするならば,それは“ともだち”にとっての救世主,強大な対抗勢力となり得るカンナから“ともだち”を守る救世主です。同時に,そんな巡査を殺すことは「しんよげんの書」の「成就」を意味します。ならば巡査=救世主の,3号=“ともだち”による暗殺は,まさに“ともだち”自身による「しんよげんの書」の現実化を意味しているのではないでしょうか? つまり「しんよげんの書」とは,ケンヂの「よげんの書」の「つづき」ではなく,“ともだち”によって新たに創作されたものではないか,という憶測も成り立つわけです。
 みずから予言し,みずからその予言を現実化する−いうまでもなくカルト集団における常套的な手段です。「しんよげんの書」が導くところとは,“ともだち”の究極的な目的なのではないでしょうか?

02/07/10

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