浦沢直樹『20世紀少年』7巻 小学館 2001年

 「あの曲が昼休みの学校に鳴り響いていた3分とちょっとの間……俺は無敵だった……」(本書より)

 “海ほたる刑務所”から脱走に成功したショーグンたちが見たもの・・・それは“ともだち”によって正確に再現された「大阪万博」の会場だった。“ともだち”はいったい何を画策しているのか? そして,ショーグンと“神さま”の口から「2000年12月31日」に起こった“血の大みそか事件”の真実が語られる・・・

 本巻の前半は,ショーグンとマンガ家角田との,“海ほたる刑務所”からの逃亡行を描いています。海中を潜って脱出しようとするシーンで,小学生の頃,ショーグンとケンヂがプールでやった「素潜り競争」−おそらくは多くの読者が経験しているであろうゲーム−を挿入することで,「刑務所からの脱走」という非日常的なシチュエーションに,読者の共感を付与させています。また,ショーグンとともに脱走するマンガ家・角田は,「ひ弱な者が信念により苦難に立ち向かう」という「お約束」のパターンであるとともに,角田の背後に作者自身の姿−「面白い漫画を描こう!!」−をすかし見ることができるのではないでしょうか。このような,「過去」と「現在」をひとつの場面で重ね合わせることによって雰囲気を作り出す手法は,この作品のひとつの定番となっているように思います。
 さて無事に上陸したショーグンと角田が見たもの・・・それは1970年に開催された大阪万国博覧会が正確に再現された「会場」です。
 大阪万博・・・それは,ある一定の年齢を重ねた人々にとって,アンビヴァンレンツな感情を呼び起こすものかもしれません。「人類の進歩と調和」を謳うそれは,敗戦後の復興,高度経済成長のひとつの頂点を象徴するイベントでありますが,その一方で,万博が開催された時代というのは,その「進歩」がもたらしたもの−核兵器,公害,「交通戦争」・・・−が顕在化してきた時代でもありました。また本作品で描かれているように「国民的事業」であることが叫ばれながらも,厳然として存在した国民内の貧富の差が,子ども心レベルでも感じられたイベントでした。大阪万博をめぐる高揚感と悲哀・・・作者はそれら微妙な感情を上手にすくい上げながら,万博を再現する“ともだち”の目的は何か?という,新たな謎を読者の前に提示します。
 そして後半,いささか能天気な新キャラコイズミを登場させ,彼女をホームレスの“神さま”に出会わせることで,物語は「2001年12月31日 血の大晦日事件」の真相が語られはじめます(“神さま”が大金持ちになっているという設定は,意外性があるとともに,もしかすると,今後の展開に重要なキーになるのではないかと邪推しています。たとえばショーグンたちの行動を支える経済的バックボーンとして・・・など)。
 細菌を噴出しながら都内を蹂躙する巨大ロボット,それを阻止しようと“ともだち”の政治団体友民党本部へと乗り込む彼らが見たものは,惨劇を放映するテレビを見ながら歓声をあげる信者たちです。ここですごいのは,信者たちを「笑わせている」点でしょう。大量殺戮に対しての決定的なまでの罪悪感の欠落・・・テレビという画面を通じて「それ」を見ることで増幅され,さながらエンタテインメントを楽しむような錯覚を与えているのでしょう。彼らの姿は,かつての「悪の秘密結社」が持っていた悲愴感とはほど遠い,現代の「悪」の有り様を象徴していると言えるかもしれません。

 さて本巻で,作者は,もうひとつ大きな謎を読者に投げかけます。ビルの屋上でロボットを操る仮面の男=“ともだち”を見つけたケンヂフクベエ。リモコンを奪い取ろうとして,男とフクベエは地上へと落下していきます。そのとき仮面の奥の素顔を見たフクベエは呟きます・・・「サダキヨ・・・・じゃない」
 はたして「仮面の男」は“ともだち”だったのか? それともダミーだったのか? さらに“ともだち”の正体はサダキヨなのか? 2014年で日本を支配する“ともだち”は本当に存在するのか? 謎は謎を呼び,ストーリィはますます混沌としていきます。
 が,しかし,その前にまず,細菌噴射ロボットの真下に突っ込んだケンヂが見たものは? そしてケンヂたちの運命は? というところで次巻です。

01/12/15

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