各界の声
〈会報収録「特別寄稿」から/以下、最新号順〉
◆第6号(平成14年1月発行)掲載
音楽教育の現場から/内之浦町立岸良(きしら)中学校教諭 池頭(いけかしら)朋子氏
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「音楽関係の職業に就きたい」という幼い頃からの夢がかない、
現在、全校生徒十七名に囲まれ、中学校の音楽教師として、
毎日忙しい中にも充実した日々を送っています。
しかし、私には、教師を五年もしているのに、未だ悩み続けていることがあります。
それは、音楽の中で(授業する上で)日本古来の音楽や、郷土の音楽を苦手としていることです。
なぜなら、普段の生活環境の中で聴くこともなく、授業で習ったことといえば、
CDを聴いたり、楽器や楽曲の説明を聞くだけで、
実際に「生(なま)」の演奏を聴いたこともなければ、楽器を扱ったこともなかったからです。
当校では、「生徒たちに少しでもプロの演奏や講話を聞かせたい」という願いから、
文化祭に芸術鑑賞をとり入れています。
今回、「薩摩雅会」の皆さんと出会い、「雅楽」の演奏をしていただき、
CDや教科書でしか知らなかった「雅楽」の生の演奏にふれ、
また実際に楽器を扱い、演奏奏法の難しさを体験させていただきました。
生徒たちも、「普段聴けない演奏が聴けてうれしかった」
「楽器を触らせてもらって、難しかったけれど楽しかった」という感想を述べています。
また、質問することで、「雅楽」について、より多くのことを理解しようと、
生徒一人ひとりが興味を持って活動していたように思います。
「雅楽」に対する今までの私の印象は、西洋音楽にはない独特な拍子での演奏や、
同じフレーズが繰り返し出てきて、いつ演奏が終わるのか、
どんなところに注意して鑑賞すればよいのかわかりにくい、という感じを受けていました。
しかし今回、「雅楽」の演奏が始まるまでの緊迫した会場内の雰囲気を肌で感じることができましたし、
楽器の音色は何と表現したらよいのか分かりませんが、
どこか懐かしく、母がよく童謡をうたってくれた時に感じた、心に響き、癒してくれる心地よさと似ており、
とても感動し、聴き入ってしまいました。
やはり、音楽教育は、体験活動を通して、
喜びや感動を共有できるものにしていかなくてはならないなあ、とあらためて思いました。
今回、私の苦手分野である「雅楽」を体験したことにより、
今までの認識が変わり、「雅楽」を少し理解出来たような気がします。
この感動を忘れることなく、様々な音楽のすばらしさを多くの生徒たちに伝えていけるよう、
これからも努力していきたいと思います。
「薩摩雅会」の皆さんも、演奏活動頑張ってください。
◆第5号(平成13年1月発行)掲載
正直なところ……(初めて聞いた雅楽)/鹿児島市芸術協会事務局 丸田真悟氏
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正直なところ、私は生まれてこの方、
雅楽というものをきちんと聴いたことがありませんでした。
正月の騒々しいテレビ番組のはしごをしている最中に、
時たま雅楽演奏が挟まることはあっても、それは一瞬のこと、
自ら雅楽にチャンネルを合わせることはありませんし、
コマーシャルで見かける雅楽界のスーパースター東儀氏に、
「へえ、こんな人もいるんだ」とは思うものの、
それでもやっぱり雅楽は縁遠い存在でした。
そんな私に薩摩雅会の上原氏から原稿依頼があったのが昨年末。
上原氏に当協会会報の原稿を書いていただいたばかりの、
私としては断りづらいという絶妙のタイミングでしたし、
しかも彼は、私が雅楽に無縁なことは先刻お見通し、
「正月元旦と二日に演奏会があります」
と実に丁寧な、逃れるすべのない御依頼でした。
そんなわけで、21世紀最初の演奏会で初めて雅楽に出会うことになりました。
「五常楽急」「越殿楽」「陪臚」…ウ〜ン?、
龍笛、篳篥、笙、鞨鼓…エーッ?、
曲目も楽器の名も全くなんのことやら。
ところが、そこから流れ出てきたのは親しみある個性豊かな音たちでした。
篳篥は子どもの頃吹いた草笛の音を思い出しますし、
鞨鼓の軽やかな弾む音は幼い頃に叩いたおもちゃの太鼓です。
龍笛や篳篥が演奏しているときにはほとんど気づかなかったのに、
それらが止むと、背景からくっきりと浮かび上がってくる、
笙の音色はポップな電子音のようにも聞こえます。
そして演奏のお終いで、
一呼吸置いて遅れてきたかのように鳴る琴の音に思わず顔がほころびます。
雅楽の何たるかを全く知らない私ですが、
そんなことに関係なく、純粋に音・曲を楽しむことができました。
正直なところ、渋々出かけた演奏会でしたが、
それは思いがけず幸せな出逢いでした。
このような雅楽との出逢いを作ってくれた薩摩雅会の皆さんに感謝します。
そして私のような雅楽食わず嫌いの人々に雅楽を味わってもらうためにも、
今度は、普通の会場で聴けたらと思います。
◆第4号(平成12年1月発行)掲載
雅楽の重み/南日本新聞志布志支局長(当時)・野平宏氏
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一本の電話が出会いのきっかけだった。
「大崎小学校の教頭の古河と申します。
今度、児童たちに雅楽の生演奏を聞かせたいと思いますので、
もし宜しかったら、どうぞおいで下さい」
わたくしたち新聞社に寄せられる数多くの電話の一つである。
「ありがとうございます。当日急な取材がなかったらお伺いします」
雅楽と言われても、これまで全く縁はない。
だれかが雅楽を、カグラ(神楽)とか、ホウガク(邦楽)などと読み間違えていたのも思い出し、
「珍しいけど、メジャーじゃないなあ」なんて思っていた。
それが、現場へ行き、一変する。
まず、服装。
みな、正装しているではないか。
Gパンか何かで演奏するのだろうと軽く思っていただけに、びっくり。
次に、奏でられるその響き。
間近で、生(なま)で聴いたことのない身には、とても異質な空間、時間に放り込まれた。
さらに、楽器の数々。
自分が思っていた疑問は、そのまま児童らの質問となって、
「なぜ、笙をクルクル回すのか」「難しい楽器はどれ」など、止むことはなかった。
そして最後に、演奏しているのが、一般人という事。
ふだんは、それぞれさまざまな職業をもち、雅楽がただ好きだという理由で集まり、
練習、各地で公演を続けている。
雅楽を少しでも広めたいという熱意は、公演の合間の楽器紹介などで充分に伝わってきた。
演奏後、児童の一人は、「不思議な音がした」と言った。
不思議な音―。
雅楽には、そんな神秘さもある。
雅楽の響きには、歴史がある。
教科書的歴史に対する評価、考え、解釈は、百家百論あろう。
だが、雅楽の音は、平安期から続く響きであり、その存在自体は、だれも否定できない。
だいたい、音色といったものに対しては、評価は何もない。
ただ、感性があるだけだ。
歴史の音。音の歴史。
そこに、雅楽の重みがあると思った。
◆第3号(平成11年1月発行)掲載
雅楽と私/鹿児島観光コンベンション協会・南竹一弘氏
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「薩摩雅会」とのご縁は、ある十五夜のイベント企画を私がする事になった事からである。
従兄弟の焼酎屋がスポンサーになり、
出演者の想い出とそれにまつわる曲を語る五分間のFMラジオ番組「晴耕雨読」の
番組終了の打ち上げと観月会を兼ねて実施した。
その会には、鹿児島の各界の個性ある方々百名程度が集った。
その中の一人、西日本新聞の野中総局長は、自社のコラム「薩摩雑記帳」に、
「残念ながら、あいにくの雨で肝心の月は愛でる事はできなかったが、
補って余りあるほどの楽しい一夜」
等とほめていただいたり、又同じくゲストの鹿児島大学の大木助教授は、
自分が主催される国際会議のレセプションに、「是非、雅楽を」という事で、
アジアからの参加者らが、特に喜んでいただいた事を、後で聞いたりもした。
そこで改めて思った事なのだが、
実は鹿児島で、「雅楽」を究めようという方々が存在すること自体、
素晴らしいし、大変な事だという事である。
私を含め、おそらく聞いていた殆どの方が、正月のTVで見たり聞いたりする程度であろうし、
マニアックなファンでも、今流行の東儀(とうぎ・ひでき氏。
元宮内庁楽師で、独自の演奏活動を展開←編者注)の曲を聞くぐらいであろう。
ただそんなレベルの私でも、「雅楽」を体で感じる近さで聞くと、言葉で表せない何かを感じた。
それは、多分昔どこかで聞いたであろうメロディーだからなのか、
それとも、日常聞き慣れた機械音と最もかけ離れた音色だったからなのだろうか?
ただこの事で私が判った事は、「雅楽」を良く聞く為には、百人位が限界である事と、
聞くというよりは、耳を澄ますという感じが一番適切な聞き方だという事である。
◆第2号(平成10年1月発行)掲載
「仙巌園」と「雅楽」との出会い/仙巌園・島津義秀氏
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音というものは、人間の感性に鋭く訴えるものの一つであると思います。
私ども「仙巌園(通称…磯庭園)」は、ご承知のように、桜島と錦江湾とをとり入れた、
視覚的にインパクトの強い性格を持つ庭園です。
かつては、錦江湾の打ち寄せる波の音や、鳶の鳴き声など、
自然の音が饗鳴していたと想像しますが、
残念ながら、現在は、目の前の国道を駆け抜ける車の音と、
鉄道の重い響きが現実へと引き戻すこともしばしばです。
そんな中で、かつての藩主たちが、まだ庭園を散策していた頃の記憶に戻せる演出が欲しい
という話が、ごく自然に出てきました。
お琴もやりました。太鼓の勇壮な響きを好評でした。謡も凛とした雰囲気をかもし出しました。
それでもまだ、未知なる音の源流ともいうべきものがあるはずだ。
そしてそれは、長い歳月にわたって、我々日本人の心の原点
ともなるような音でなければならない。
その一つに「雅楽」がある、と思ったのです。
しかし、雅楽の存在は知っていても、宮内庁でやっていることぐらいしか知識はなく、
一般の者が「生」で、その演奏を聴くことは、
まして、鹿児島で生の演奏を観ることなどできるはずがない、とあきらめていました。
そんな中で数年前、縁あって「薩摩雅会」の皆様と出会うことができました。
以来、機会ある度にお願いして、ご出演いただいております。
「仙巌園」の来園者は、ピーク時で約八十万人とも百万人とも言われています。
市内、県内はもとより、東京首都圏から来られるお客様も多く、
最近では、アジア諸国、イギリスなどの欧州からも来られます。
このようなお客様の中には、この桜島と錦江湾を背景にとり入れた舞台で奏でられる
「古の響き」を予想もせず目にされ、皆、等しく大きな驚きを表します。
今後は、今までの「音」に加えて「彩り」といいますか、
そうしたイメージのある「舞楽」を「仙巌園」の舞台で、とも思っています。
そして、どうかこの格式ある「雅楽」の灯を絶やさぬよう「薩摩雅会」の皆様には、
大いに期待いたしたいと思います。