「おい、吉富っ。俺にもジュースくれ。」
一目で明らかに肥満体だと解る彼は、椅子に腰掛けながら声をかけると、
「あっ。はい、どうぞ。」
と、彼女は彼の紙コップへとオレンジ色の液体を注ぎ込んだ。
「荒川先輩、凄い汗ですよ…。まだ、練習も続くから水分は控えた方が…。」
分厚い眼鏡越しに荒川に睨み付けられた彼女は、ここまで喋って口を閉ざしてしまった。すると、彼の隣に窮屈そうに座っていた河辺が、吉富のフォローをするかのように言葉で間に割り込む。
「そんなに睨むなよ。彼女の言ってる事は間違っちゃいないぜ。第一、練習中も人一倍水を飲んでたくせに…。飲み過ぎだぜ。」
「そうよ、だからそんなにデブになるのよ。由里もあんたの事を心配して言ってくれてるんだから…、…ねぇ、由里ちゃん。」
「え…、ええ、まぁ…。」
河辺の向かいに座っている栗田の問い掛けに、吉富はうつむきながら曖昧な返事をした。荒川は同級生の一斉攻撃に少し怯んだようだが、
「うるせえな。」
と、口元は苦笑いをしながら紙コップのジュースを一気に飲み干した。そして、少々乱暴に紙コップをテーブルに置くと、稽古場へと向かうべく重そうな体を持ち上げる。
「もう、休憩時間も終わる。早く飲んだ方がいいぜ、河辺。ちょっとでも遅れれば、口喧しい部長が火を噴くぞ…ゴジラみたいに。」
「おっと、もう、そんな時間か…。やべぇ、やべぇ。そろそろ行こうか。」
河辺の言葉が合図だったかのように、皆が慌ただしく動き出した。栗田の性格は几帳面らしく、手早くテーブルの上を片づけ始めると、それに誘われるように河辺も紙コップを集め始める。
「そうね。部長の機嫌を損ねると、練習時間より説教の方が長くなっちゃうもんね。…あれ、由里ちゃん、ジュースの蓋は…?」
「あ、すみません。やっときます。」
「蓋して冷蔵庫に入れといた方がいいよ。炭酸が抜けちゃうからね。」
「はい、解りました。」
と、笑顔で答えると、吉富はエプロンのポケットからキャップを取り出し、ロッカーの横に置いてある冷蔵庫へとしまい込んだ。すると、河辺は荒川の方を横目で見ながら笑い声で、
「冷蔵庫に鍵しといた方がいいんじゃないか? 誰かさんが、練習中に全部飲んじゃうかもよ。」
「馬鹿言うな!」
荒川は強い口調で行ったものの顔は笑っていた。
「馬鹿なこと言ってないで、練習に行きましょ、時間よ。」
「へいへい、お姫様。申し訳ありません。」
と、河辺は相変わらず戯けた調子で栗田の言葉も受け流している。その言葉を最後に、部室は休憩前の静けさを取り戻した。
「被害者は、荒川秀典という学生です。どうやら、毒殺ですね。」
浅田は到着したばかりの門脇に事件の概要を報告している。
「やだねぇ、この仕事は…。盆も正月もないからねぇ。そう思わない、浅田?」
「まあ、そうですけど…。でも、自分で決めて刑事になったんじゃないんですか?」
「うーん。まぁ、そうなんだけどね。最近ちょっと後悔してるんだよ。どうせなら、盆と正月は休める公務員になれば良かったなぁ…てねぇ。」
門脇は部室の中を見渡すと、学生らしき人物の顔を一人一人眺めている。
「あの子達は…?」
と、眼線はそのままで浅田に尋ねる。
「被害者が所属していたサークルの学生です。で、ここが部室で…。えーっと、演劇部だそうで、今日も来月に迫った講演の練習をしてたらしいです。」
「ほぉぅ。」
「で、一番右に立ってる彼女は栗田弘子。その隣の黒縁眼鏡は若宮安弘。部長だそうです。その隣の細面な彼は河辺秀次。そして、僕好みの彼女は吉富由里…。」
バチンッ!
「誰も、そんな事聞いてないよ。」
「痛いなぁ。暴力は止めましょうよ。暴力は! 第一、今時凸ピンなんて流行らないですよ…。」
さっきの音は門脇が浅田の額を指で弾いた音だったようだ。
「流行っていようが、いまいが関係ないの。君の存在そのものが問題なんだから…。」
「ひ、酷いなぁ。今までで2番目に酷い言葉ですよ…。」
「そんな事より、続きを話してごらん。」
「あ、そうでした…。」
と、ページが解らなくなっていた黒い手帳をめくりながら浅田は説明を始めた。
「死亡推定時刻は16:30頃です。これは死体が発見される15分ほど前になります。死因は青酸カリのような毒物で、ペットボトルのジュースから検出されました。状況から言って、どうも無差別殺人の可能性が濃厚ですね。」
「……何故?」
「それはですね、毒物が検出されたジュースは14:30迄の休憩時間に購入された物で、その時は部長の若宮以外、全員飲んでますから、まだ混入されて無かったことになります。ところが、舞台稽古が始まって被害者の荒川が練習を抜け出し、この冷蔵庫にしまっておいた同じジュースを飲んで死亡した事から、練習中に何者かが部室に忍び込み薬物を混入した事になります。練習中、荒川以外の学生は体育館から出ていないという証言の元から考えると、やはり第三者の無差別殺人と考える方がいいんじゃないかと…。」
「お、凄いねぇ。見直したよ、浅田。成長したね。まるで刑事みたいだよ。」
「ありがとうございます。…って、何か変だな…。」
「で、体育館から誰も出てないのは…それ、確かなの?」
「はい。この4人の学生の証言からすれば…ですが…。あ、忘れてた…。部長が一度電話がかかってきて携帯を持ったまま体育館から出たそうです。話の内容を聞かれたくないみたいで、練習を中断したらしいです。」
「そう…。もう、あの子達から話は聞いたんだね。」
「ええ、…でも彼等の証言から見た目より、仲が良かったとは思えない発言が多くて…。」
「ふーん。…例えば?」
「じゃ、まず、部長の若宮の話なんですが…
「此処だけの話ですけどね。誰にも言わないで下さいよ、刑事さん。どうやら河辺の奴、荒川にゆすられてたみたいなんですよ。荒川はカメラが好きだから、何かやばいところを撮影されたって…。ま、あくまでも噂ですけどね…。」
…って、感じで…。次に話を聞いたのは、その河辺なんですが…
「此処だけの話だけど…。誰にも言わないでよ、刑事さん。どうやら栗田は荒川にゆすられてたみたいだね。 荒川の趣味はカメラだから、何かやばいものを撮られたらしいよ。栗田の奴、土日の夜は家にいないことが多いって噂を聞いたけど、何してんだか…。ま、あくまでも噂で耳にした話だけどね…。」
…って、内容です。」
「何それ…。二人とも同じじゃない。どうなってんの…?」
「でも、これで驚いてちゃダメですよ、門脇さん。次に栗田にも話を聞いたら…
「絶対内緒ですよ! 私が話をしたなんて漏らさないで下さいよ、刑事さん! 由里は…あのぉ吉富って子の事なんですけど、どうやら荒川にゆすられてたみたいなの。あいつ何時もカメラを持ち歩いてたから、もしかしたら…。由里、休憩時間はかわいいピンク色のエプロンなんかして世話してくれてるけど、ほんとは、乱れた生活してたりして…なんてね。でも、私も噂で聞いただけだからホントかどうか分かんないけどね…。」
…で、最後に僕好…止めて下さいよ! その指は…
「あのー、噂で聞いた話なんですけど、部長さんは荒川さんに脅迫されてたようなんです。荒川さん、何時もカメラを持ち歩いてたから、何か人に言えないような事をしているところを、カメラで写されたんじゃないかって…。でも、噂で聞いた話ですから本当かどうか…。」
…どうです。驚きました?」
門脇は口が半開きの状態のままで、どうやら言葉が出ないみたいだ。
「僕も驚きましたよ。4人が4人共同じ内容ですからね。」
浅田は手帳をめくりながら、話を続ける。
「ま、その代わり4人共殺意があったとも受け取れますが…。あ、それと、ついでに休憩時間の事も聞いてありますので話しましょうか…?」
「…あぁ、そうしてくれる…?」
「解りました…。まず…」
と、浅田が口を動かし始めると、門脇は徐々に右手が額へと運ばれ、何か考え込み始めた。いつものポーズである。そして、暫くして浅田の話が終わると額から手を離し、得意の不敵な笑みを浮かべた。
「えー、ご無沙汰しておりました。私の出番が少ないという事は、それだけ平和な事だと思いますが…。残念なことに、また、このような事件が引き起こされてしまいました。
今回のポイントは、えー、犯人は誰で…、被害者の彼、荒川にどうやって毒物を飲ませたか…、申し訳ありません、そのまんまですね、失礼しました。物的証拠はこれから見つけ出しますが、その前に皆さんにお考え頂きましょう。
では、また、お逢いしましょう。門脇でした。」
「また、誰かと喋ってるよ…この人は…」
浅田が陰でつぶやいていた…。
