トンネルをぬけると、そこは雪国……ではなく、駐車場であった。
「いやー、凄いね、このホテルは。素晴らしいアイディアだ!」
「でしょ! で、又、ランチが凄く旨いんですよ。」
今日は浅田の誘いで、あるホテルに昼食を楽しみに来たのである。
このホテルは街外れにある小高い丘の上に建てられており、らせん階段のように玄関までの道路が設置されている。しかし、丘の麓にはポッカリと口をあけたトンネルがあり、そこを通れば、ホテルの地下駐車場へと直行できるように施されていた。門脇は、その施しがえらく気に入った様子で、しきりに誉め言葉を発している。
「いいねー。君にしては上出来だよ、このホテルは。」
「ありがとうございます!……でも、何か素直に喜べない言葉なんだよなぁ。」
「何か言った? あ、ほら、運良くエレベーターの前が空いてるよ。」
「あ、ホントだ。ラッキーですね。」
トンネルを抜けると駐車場が見え、エレベーター前の列へと吐き出してくれる。まだ奥のほうにも在るようだが、エレベーターの真ん前に車を休ませるスペースを確保できたことは幸運であろう。
ところが…、凄まじいタイヤの悲鳴と門脇の大きな声が聞こえる。
「どうして、こうなるの!? 君、ホントに免許持ってる?」
「ええ、一応は…。」
「だったら、どうやったら車止めを乗り越えられるのか、教えて欲しいよ。」
この会話で想像がつくであろう。バックで駐車しようとした浅田だが、下がりすぎて何故か車止めを乗り越えてしまったのである。それを、アクセルを踏んで無理に前に出そうとするものだから、タイヤが悲鳴を上げている。
「ちょっと、代わって。」門脇はたまりかねて助手席から外へ出た。
「君は降りて後ろから押しなさい。見て御覧。警備のお兄さんが笑ってるよ。」
指さす方を見ると、二つあるエレベーターの真ん中に立っている警備員が白い歯を見せてこちらを見ている。
「笑ってる暇があったら、手伝ってくれてもいいのに…。」
浅田は、彼宛の文句をブツブツと言いながら、車の後ろへと回り込んだ。再び始まったタイヤの悲鳴。しかし、今回はそう永くはなかった。無事、脱出に成功したのである。そのまま、門脇が見事に納車を完了。
「99q…。もしかして新車なの、これ?」
門脇は運転席に近寄ってきた浅田へ質問を投げかけた。
「あ、解っちゃいました? 実はそうなんです! ちょっと無理しましたけど。」
「やっぱり、そう。君のアパートより住み心地が良さそうだね。いっそのこと、車の中で生活したら?」
「また、そんな事言って…。やだな、もう。……ところで、早く行かないとランチタイム終わっちゃいますよ。」
「え? 時間が決まってるの? 早く言ってくれなきゃ…困るね。」
車をロックすると二人は急いでエレベーターへと向かう。ところが、エレベーターの扉の上には休止のランプが点灯していた。
「何? 今使えないの?」
門脇は、先程まで白い歯を見せていた警備員に訪ねた。
「すみません。今点検中なんですよ。あと、10分ほどで終わると思うんですが…。」
「どうしましょう、門脇さん。早くしないと時間が…。」
「あ、もし良かったら、そこの右っ側に階段が在りますけど…。」
「ありがとう! 門脇さん、行きましょう。さ、早く!」
「え? 階段で行くの?」
門脇はいやいやながらも浅田に手をひかれ、壁つたいに左の方へ行くと、右側にちょっとした行き止まりがあった。正面には「関係者以外立入禁止」の札が貼られた鉄の扉が出迎え、右を見ると、待ちくたびれたかのように静かな階段の踊り場が口を開けていた。浅田は鉄の扉を見ると、
「こんな札が貼られてると、逆に入ってみたくなりますね。」
「じゃあ、こっちから降りれば? 私は上に昇ってランチを食べてくるから。」
浅田が踊り場へとはいると、まだ、下へと降りる階段があり、そこにはロープがはられ、やはり「関係者以外立入禁止」の札がぶら下がっていた。
「へー、まだ下の階があるんですね。」
その時、
「すみませーん。今、エレベーターの点検が終わりましたー! まだ、そこに居ますかー?」
さっきの警備員の大きな声が門脇達の耳に届いた。門脇にとっては正に天の一声。天にも昇る気持ちであろう。彼は一目散にエレベーターへと向かって歩き出した。勿論、浅田も慌てて、その後を着いてくる。扉の前に辿り着くと、既に警備員がボタンを押してくれたらしく、エレベーターは下の階へ向かって動き出していた。
「いやー、助かったねー。やっぱり日頃の行いが、こういう時に出るんだろうね。」
「そうですか! やっぱり僕っていい人間なんだ。」
「君、何か勘違いしてない?」
「え? 何のことですか?」
こんな訳の解らない会話をしているうちに到着し、扉が愛想なく開いた。
「ありがと。助かったよー。」
門脇が警備員に声をかけると、「どういたしまして。」と言葉を返す。
エレベーターは二人が乗り込むと、重い扉を閉ざし、命令に従うべき動き出した。二人の男性をランチへと導く案内人として…。
「もう、困るなぁ。」
彼、浅田は又エレベーターの中。ところが、上司門脇の姿はない。ここで何をしているかと言うと、それは単純な理由である。何とかランチには間にあったものの、財布を車の中に忘れたのだ。門脇は人質として、食べ終えた空の皿の前で浅田の帰りを待っている。エレベーターは、扉横の一番下のボタンが点灯すると、またもや重い扉をスライドさせる。
「そう言えば、門脇さんに御馳走になった事ないなぁ。」
そんな独り言をつぶやきながら一歩を踏み出したところ、浅田は、ふと、人の気配を感じた。エレベーター部分の出っ張りを利用し、両サイドに駐車スペースを設けている場所。そこは、エレベーターから降りてきた浅田には死角になる。車が止まっている事は解るのだが、車とエレベーター部分の壁との間には何があるのか…。扉の前からは確認がとれない。しかし、やはり気配を感じる。左側の駐車スペースから…。浅田は決心し、恐る恐る壁沿いに、そのスペースを覗き込んだ。
その時、浅田はある人物と目が合った。と、同時に腰も抜かしてしまった。その人物は横向きで倒れており、左の胸部に突き立てられたナイフの口元から白いシャツを赤く染め始めていた。やや白目ががった顔の口元からも僅かに赤い液体が溢れている。床面には胸部のナイフから、ポツリ、ポツリと一滴ずつ血が垂れていた。
「…し、…死んで…る…?」
浅田と目が合った人物は、この世の人ではなかった。もし、魂というものが在るとするならば、それは、抜け殻であろう。
一時は驚いたものの、やはり、そこは一応刑事。直ぐさま、立ち上がると被害者の脈をとる。しかし、反応はない。多分即死だったのだろう。
「とにかく、門脇さんに報告しなきゃ…。」
浅田はエレベーターの前に移動するとボタンを押した。…が、なかなか降りて来ない。苛立ちを押さえきれず、叩くように何度もボタンを押してしまう。
「どうかしましたか?」
振り向くと先程の警備員が立っている。どうやら浅田の普通ではない行動に、何かを感じたようだ。
「あ、君! いいところに、来てくれた! 僕はこういう者だが…。」と手帳をかざす。
その時、エレベーターが到着し扉が開いた。慌てている浅田は、
「そこに、死体がある! 僕が帰って来るまで見張っててくれ!? 頼むよ!」
と、その警備員の返事を聞かずして飛び乗ってしまった。
「ホントなんですよ! 駐車場に死体が…!」
「あ、そう。…なかなか来ないね、このエレベーター。」
「何のんきな事言ってるんですか! ホントに死体が!」
「しっ! 大きな声で『死体』なんて言葉使うんじゃないよ。みんな変な目で見てるじゃない。…あ、…。」
またもや、休止のランプが点灯した。
「どうなってるの、このエレベーターは。」
「う………。そうだ! 階段で行きましょう! 階段で! 警備員が教えてくれた階段があるはずですよ!」
浅田はホテルの従業員から階段の場所を教えてもらうと、一目散に駆けだした。その階の踊り場に着くと一度見た同じ画像が飛び込んでくる。コンクリートで固められた階段には、靴音だけが慌ただしく響き渡り、と、同時に二人の荒い息使いが途切れ途切れに聞こえる。
「か、…門脇さん!」
「何? わ…私に……話しかけないで…くれ…。」
「この…この階段、階の…表示が無いんですけど……、今、何階まで来たか解…ります? はぁ、…はぁ。」
「あのね…。このまま…降りていったら…いいんだよ…。そ…そしたら、…札がぶら下がって…いるから…。」
「…なるほど…。…駐車場で見た…あの、札ですね…。…あっ、あった!」
5分ほどの時間がかかったが、どうやら到着したらしい。その勢いのまま駐車場へ飛び出すと、被害者を発見したスペースへと向かう。当然、走る浅田の目には、あの警備員の姿も映っている。ところが…、辿り着いた空間を眺めて、浅田は愕然としてしまった。
「……な、…何故…。何故なんだ…? 何処にいった……?」
肩で息をしながら、たどり着いた場所には、死体どころか、血の後さえ残っていない。
「…どういう事だ……。」
まるで、狸に化かされたような感覚であろう。門脇もようやく辿り着き、辺りを見回している。
「何処? 死体は…?」
浅田は、そのスペースを見つめたまま独り言のように答えた。
「き、消えました…。さっきは、確かに…。」
「消えた…?」
門脇は膝に両手をついたままの姿勢で、浅田を見上げた。依然として、浅田は呆然と立ちすくんでいる。
しかし、若干冷静な思考へと立ち戻ると、思い立ったように警備員へと詰め寄った。例のごとく、警備員はエレベーターの前に立っている。
「何処にいった!? あの死体は何処なんだ!」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」
胸ぐらを捕まれた警備員は、力ずくに浅田の手を払い除いた。
「元々、死体なんか有りませんでしたよ! あんたの方こそ、どうかしてるんじゃないか!」
「な、無かった…? そんな馬鹿な…!」
浅田は落胆の色を見せている。頭の中が混乱しているようだ。そんな浅田を見かねた門脇は、二人の間に割って入った。
「どういうことか、ちょっとお話頂けませんか?」
「ええ、いいですよ。この人が、エレベーターのボタンを叩いていたから、何か有ったのかと思って声をかけたんです。そしたら、そこに死体があるから帰ってくるまで見張っててくれって言われて…。」
と、エレベーターで陰になっている場所を指さした。
「で、そこを覗いて見たんですけど、死体どころか猫の子一匹いませんでしたよ。」
「…そうですか。」
しかし、浅田は納得がいかない。
「確かにこの目で見たんだ! そこに倒れている死体と目が合ったんだ!」
「勘違いじゃないですか? 死体どころか血の後さえ無いじゃないですか。」
しかし警備員は嘲笑うかのような目で見ながら答える。
「君、ホントに見たの?」
「そんな。門脇さんまで僕のこと疑うんですか!? 本当にこの目で見たんです! 信じて下さいよぉ!」
「でもねぇ。君を信じない訳じゃないけど、無いものは無いんだから…。」
門脇は浅田の肩に腕をかけると、「とにかく、一度署に戻ってゆっくり話を聞こう。」
「結局、門脇さんも僕のことを信用してないんだ…。いいよ、どうせ僕なんか…。」
「そんな事ないよ。ところで、車のキーは?」
と、いじけた浅田は門脇に導かれるままエレベーター前の車へと歩き始めようとした。
「はいはい…どうせ僕は只の運転手ですよ………あれ…? あれ…?」
浅田は上着のポケットをまさぐるがキーが見あたらない。一歩を踏み出すのを止めて探すがどうしても出てこない。
「どこかで落としちゃったかな…?」
その様子を横で見ていた警備員が思い出したように声を出した。
「もしかして、これですか?」
と、ズボンのポケットから一個の車の鍵を取り出し、自分の顔の前にかざした。
「あ! 僕のキーだ。何処にあったの?」
「ここです。さっきエレベーターに飛び乗った時に落としたんじゃないですか?」
「よかったぁ。ありがとう、さっきは悪かったね。気を悪くしないでね。」
「いえ、いえ。多分ホームレスとかが、よく昼寝をしにくるから見間違えたんだと思いますよ。ここ、結構涼しいんで…。昼寝には最適だとか言ってますから、あいつら…。実際、このホテルも今の一番の悩みはそれなんですけどね。」
「そう。…そうかも、しれないね…。」
浅田は、そう返事したものの納得した様子ではない。しかし、死体がなければ事件にはならない。そう、自分に言い聞かせているような感じを受ける。
「とにかく帰ろうよ。」門脇は車へと歩き始め、
「ところで、傘持ってきてる?」と、浅田に尋ねた。
「え? 一応後ろのトランクに積んで有りますけど…。雨降ってんですか?」
「見て御覧。隣の車が濡れてるだろう。私達が停めたとき、隣はあの車じゃなかった。つまり、私達の後にこのホテルに来たことになる。その車が濡れてるんだよ。」
「あ、そうか…。」
よく見ると、数台濡れた車が駐車場の中に見付けられる。
「解った? じゃ、とりあえずトランクを開けて。」
と、言うと、門脇は停めてある車の後ろへと回り込んだ。カチャ、という音と共にトランクが開く。門脇は傘を見付けて取り出そうとしたが、柄がどこかに引っかかり足下へ落としてしまった。
「門脇さん、早く帰りましょうよ。何やってんですか?」
「うるさいね、君は。今、傘を……。」
門脇は傘を拾うと、助手席へと……いや、何故か運転席のほうへと歩いてきた。そして、コンコンと窓を叩くと既に乗り込んでいた浅田に窓を開けさせる。
「ちょっと、君、降りてくれる?」
「え? な、何でですか?」
「いいから、ちょっと。」
浅田と入れ替わると、門脇は暫く額に手を当て何か考えている様子だ。そして、その手が額から離れたとき、こう声を発した。
「浅田。署に連絡とっといて。私はちょっと彼と話があるから…。」
「…? 彼って…。あの、警備員ですか…?」
「そう、ちょっと聞きたいことがあるからね。君は署に電話して。早く。」
「は、はい! わかりました!」
浅田は、携帯電話の電波が届かないことを確認すると、公衆電話を求めて走っていった。門脇は車から降りると、エレベーターへと歩き始める。そして…、
「えー、これをお読みのあなた。お解りになりましたか?
彼、浅田が目撃した死体は、どうやら幻ではなかったようです。つまり、犯行は行われていたのです。そして、犯行を行った犯人は…、そう、それはあの警備員です。他には考えられません。
それは何故か…。簡単なことです。私達二人以外の登場人物は、彼しか居ませんからね。しかし、彼には驚かされました。いやー、ホントです。こんな危険なギャンブルにでたのですから…。
つまり、彼はどの様なトリックを用いて死体を消し去ったのか…。この謎をお考え下さい。…えー、そして、何故、彼の使ったトリックに気が付いたか…。この点もお答え下さい。
それでは、また、お逢いしましょう。」
門脇の目の前には、あの警備員が立っていた。
